「お、いたいた。セイ、この人の相手頼むな」
「はい。・・・こちらは?」
「クリス王子の学友にして側近のジョシュ・グリンフィード殿だ」
シンに連れられた少年が、軽く会釈をする。セイも、整理中の本を抱えたまま、それに倣った。
「はじめまして。僕は、セイ・ガズナといいます」
「はじめまして。ジョーと呼んでください」
「あ・・・はい」
「じゃ、任せたな」
書庫の扉を閉めて、シンが去っていく。いつの間にあの人は道案内までするようになったのだろうと、セイは微苦笑した。
「すみません、すぐに片付けますから。お好きなところに座っていてください」
「ありがとうございます」
抱えていた数冊の本を手際良くそれぞれの棚に戻すと、書架の奥に姿を消した。だがすぐに戻ると、ジョシュを促して別の部屋に移る。奥へ行ったのは仕事仲間に仕事を抜ける旨告げるためであり、部屋を出たのは、それなりのもてなしを考えたためであった。書物のある場所に水気や食物は厳禁だ。
城内の召使に頼んで茶菓子を運んでもらい、ポットから茶を注ぐ。
ジョシュは、それを感心するように見つめていた。
「どうぞ」
「ありがとう。あんた、・・・・あ、こういう喋りでもいいかな? どうせ、うるさいお偉方とかもいないし、同い年だろ? それとも、こういうの気にする方?」
「いえ、お好きなように」
「あんたも楽に喋っていいんだぜ?」
「癖なんです。気にしないでください」
苦笑して、淹れたてのカップを前に置く。ジョシュは、礼を言って一口飲むと、満足そうに笑みを浮かべた。
「凄いな、こんなのまでできるんだ? ・・・あんた、俺と同じ立場なんだろ?」
「え?」
自分のカップを抱えたまま、セイは首を傾げた。
「ここの王女様と幼なじみだって聞いたぜ? 武道だとか学問だとか、幻術もかなり使えるって・・・違ったのか?」
ああ、と、セイは苦笑した。いつの間にか、そんな噂がされるようになっていたのか。
だがセイは、一月ほど前に側近としての地位は失っている。
それは、王女の失踪が原因だった。元々セイはその覚悟はしていたのだが、一時は王女のアイリが随分と騒ぎ立てていた。そもそもあんな者を学友にしたのが間違いだった、との評が聞こえたときが一番酷かったらしい。とにかく今のセイの仕事は、城内の書物の管理だった。
それらを簡単に話すと、ジョシュは呆れたように笑った。
「それで突然、うちの王子様にお声がかかったわけだ」
アイリとクリスは、婚約をした。もっとも、そこに本人の意志はなく、全て親同士、端的に言えば、国家間での取り決めだった。そして、軽々しく失踪したアイリに対して、さらなる枷をつける必要性を感じたようだった。
今頃、二人も城内でお茶など飲んでいる頃だろうか。
「で、あんたは? なんにも思わないのか?」
「何がですか?」
「仲の良い幼なじみだろ? 何かあるんじゃないのか?」
「さあ・・・何も思わないといえば嘘になります。けれど、僕がどうこう言うものではないでしょう?」
ジョシュは、皮肉げに笑って見せた。
王族や貴族などの「学友」をわざわざつくる身分の場合、家柄や能力もだが、まず同性を選ぶ。親しみやすさからいって当然の事だし、何か間違いがあったら困るからだ。ジョシュの発言は、そのあたりをからかうようでも期待するようでもあった。
だがセイは、涼しげなかおでジョシュを見返す。
「アイリ様は大切ですが、それがどういった感情なのかは知りません。僕の場合、完全に手の届かないところに行ってしまわない限り、判らないかもしれませんね」
それで、あなたは?
きり返されて、ジョシュはきょとんとした顔をした。「は?」と言ったきりのジョシュに、セイは砂糖菓子を勧めた。
「あなたの国の方々が話していました。幼なじみの方とご結婚されるそうで」
「・・・ああ」
ジョシュが幼なじみと結婚するというのは、使節団の中ではもちきりの話だった。おまけに、その少女はクリス王子とも仲が良かったのだと。
「自覚はないけど、少しは好きだったみたいでさ。面白くないらしくて、少し意地悪はされてるなあ」
どこかで、呼び鈴が鳴った。アイリとクリスの会見が終った音だと判った二人は、顔をみ合わせて苦笑した。セイはともかくジョシュがクリスと行動を共にする以上、二人の話もここまでということになる。
「ありがとな。あんた、俺のとこに引き抜きたいくらいには好きだな。ああ、もし王女様を連れて逃げたくなったら、言ってくれたら協力するぜ?」
「ありがとうございます。でもそうすると、あなたの花嫁に逃げられることになりますよ」
席を立っていたので、そのまま立ち尽して驚いたかおになる。そうして、悔しそうに顔をしかめる。
「やっぱいい性格してるなあ・・・。ばれてたのか。いつから?」
「肖像画を目にする機会がありましたから」
「王女にはばれなかったぜ?」
「見てなかったんじゃないですか?」
何しろ、クリスとの手紙のやり取りも、業を煮やした王が立てた代役が書いたものだ。送られた肖像画を見ていなくても、あるいは見ていて忘れていても、何も不思議はない。
「シンが案内してきたのだから、他の人たちへの対処もしてあるんでしょうね。幻術でも使いましたか?」
「さあ・・・細かいことは、全部任せたからなあ。おっと、帰らなきゃ、ジョーが怒る」
身代わりをさせたことで既に怒ってるけどな、とは敢えて言わない。
「そういや、俺の正体知ってたからその喋りだったのか?」
「いえ。クリス王子に対してであれば、もっとちゃんとしてますよ。これは、本当に癖ですから」
ふうん。「ジョシュ」は、面白そうに笑った。本気で、引き抜きたいなあ、とも言う。だがセイが、自分よりもアイリを選ぶことは明らかだった。
送っていきます、と言って、セイは扉を開けて先に立った。だが「ジョシュ」が、少し速度を上げてその隣に並ぶ。友人にするような態度だった。
「一つ、訊いても良いですか?」
「何だ?」
「二人のこと、本当はどう思ってるんですか?」
「大好きだぜ? もちろん、恋愛感情抜きで」
そう言って、笑う。それは確かに、「子供」のかおだった。もしかすると、その前の台詞は、未来を予想してだったのかもしれない。ひょっとすると後から、数年してから、好きだったのかなと、気付くのかもしれないと。
「ジョシュ」は、仕返しを目論むようにセイを見た。
「こっちからも一つ。本当のところ、王女様をどう思ってる?」
セイは苦笑した。本当も何もない。言った通り、どういった感情なのか、名付ける術 [すべ] がないのだ。判明するのは、きっと遠く離れてからだ。
存外この会話を楽しんでるな、とセイは感じた。
「大切ですよ、とても。だから、あの人の意志が妨げられることがあれば、全力で排除します」
気をつけてください、と声には出さずにいう。二人の大切な友人がいる部屋は、すぐそこだった。
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