夜の帝国

 生ぬるい、風が吹いていた。夏は終わったはずだが、まだ夜でさえ、秋と呼ぶには早い。

 高台にある学校は周りを木々に囲まれており、折々の虫の声さえ気にしなければ、勉強にはうってつけの環境だった。その分、夜ともなれば人気がない。

 そこそこ高級な部類に属する住宅地にあるので、全く人がいないわけではないのだが、夜間にも営業する店といったものがないだけ、うっそりと静かだ。

 明かりも、夜間には必要がないため、学校のある部分は取り分け、暗く静かに沈む。

 更に今は、体育祭に使われていた用具やクラスの張りぼてが運動場一面に無言でたたずんでいる分、不気味さが濃くなっている。

 天空には、金貨を放り投げたような満月。

 そんな静まり返った校庭を、年の割にやや頼りない体つきをした少年が、おっかなびっくり歩いていた。

 ――しまったなあ。せめてもっと大きい懐中電灯、持ってくるべきだったなあ。

 小さく細い懐中電灯の明かりを頼りに、少年は運動場に向かう。実のところ月明かりでも十分明るいのだが、それを知らない少年は、懐中電灯の範囲の狭い光に目を晦まされ、逆に強く暗さを感じている。

 置き忘れたポケットベルを探しに、夜の学校へ。

 学校の怪談のには、うってつけの舞台設定だ。この学校には怪談などないし、あったところ少年も本気では信じないだろう。だが、無視するには状況が整いすぎていた。

「―――?」

 今、視界の端で何かが動いた。

「いや、まさか…」

 つい口に出し、否定する。だが、逆に心の中には不安がこみ上げてくる。

 ――幽霊とかじゃなくても、人だったら? 変質者や殺人犯がごろごろしてる時代だぞ?

「そんなわけ…」

 なんとか首を向けたそこには、四方を何にも支えられず、宙に浮いた提灯があった。



「行ったか?」

「行ったよ」

 温泉を模した張りぼてから、小さな二つの人影が現れる。

 小学生くらいだろうか。瓜二つの容貌だが、闇に溶けるような黒髪とそれ自身が輝くような白い髪という、それだけが違った。月光を浴びて光る眼は、どちらも紅い。

 二人は、顔を見合わせて笑った。

「始めるか」

「うん。僕達のタイク祭」

 二人が肯き合うと、途端に、空気が変わる。何かしら、生き物がいるようなざわついた空気になり、張りぼてにつけられた小物達は動き出し、張りぼて自体も生きているような雰囲気をかもし出す。

 声が発されるわけではない。だがたしかに、ざわめいていた。これで人魂でも飛べば、目撃者には、妖怪アニメのオープニングにでもなぞらえられて、お化けの運動会とでも思われるだろうか。墓場ではなく学校だが、そこは問題ではない。

 人でないものたちでひしめき、動き、騒いでいるというのが問題なのだ。

「まずは――」

「かけっこだよ。ほら、みんな集まって」

 白髪の声につられて、提灯やはしご、玉入れの玉、河童のぬいぐるみといったものがトラック中央に並ぶ。

 どれも、今日の昼にこの学校で開かれた体育祭で使われたものばかりだ。一部は体育倉庫にしまわれ、一部は片づけを明日に回してそのまま放置されていたのだが、それらがわらわらとうごめき、並ばなかった物らはまるで観客のように、トラックを囲んだ観客席で同じようにうごめく。

「僕たちも行こう」

「ああ」

 そうやって、様々な競技が再現される。

 それらは、昼間に行われたものとほぼ同じだった。百メートル走に始まり、四百メートル走や八百メートル走、千五百メートル走、リレーも再現され、騎馬戦や大縄跳びまで繰り返される。

 だが、昼間には賑やかだった運動場には、二人の子供の声しか聞こえない。他に動くのは、仮初に命を拭きこまれた物達。うごめきはしても、音は立てても、声は出さない。物たちには意思はなく、ただ、そう動かされているだけだ。

 恐れずに見る者がいれば、淋しい光景だと思っただろう。

 しかし、二人はそんな言葉は知らない。互いしか知らない彼らは、この光景が自然であり、基準なのだからそんなものは浮かんでこない。

 人間は彼らとは違う生きモノで、彼らは己の種族の中でも、「違う生きモノ」だった。だから彼らはいつだって、二人きりだった。ただ二人だけがいて、今のように物を動かすことはあっても、それはただ盛り上げるための演出だ。

 それが当たり前で、そこには淋しさや虚しさといったものが入り込む余地すらない。それ以外がないのだから。

 やがて、「昼休み」の時間が来た。

 人々が休むのに倣って、二人も地面に座り込む。「お弁当」までは用意しなかったが、他の物たちも、幾つかずつに円を作って地面にある。

 白髪の息が弾んでいた。汗だくになっている黒髪が、それを見て片眉を上げる。

「おい、大丈夫か?」

「平気だよ。今日は満月だから」

 疲れの見える笑顔。黒髪は、心配そうに顔をのぞきこんだ。

 この二人は、属するものが違う。黒髪は夜の属性であり、白髪は昼。それは、闇と光とも言い換えられる。それぞれ、自分の領域外のときには力が半減する。月の光を借りたり暗がりの影を借りたりと、全く何もできないわけではないのだが、無理をすると倒れかねない。

 今も、物たちを動かしている力の大半は黒髪の力だが、白髪も多少は手助けをして、力いっぱいに飛んだり駆けたりしたせいで疲れているのだろう。

 黒髪は、掌を白髪の額に乗せた。力を注ぐ。

「平気だって言ったのに。ありがとう」

 黒髪が、照れて別のところを向く。白髪は、邪気なく笑っていた。疲れは消えたようだ。

 二人には、互いしかいない。

 真ん丸の月が綺麗だと、人間たちのよくわからない遊びを再現するのが楽しいと、そうやって伝え合える相手さえ、互いしかない。だからこそ、互いが自分自身と同じだけ大切だ。

 例えば二人には、人間が映画や小説といった物語の中で描き出す、他人のために命をかけられるかどうかといった問いかけは無意味だろう。互いにとって互いは半身であり、どちらか片方だけが危地に陥った場合、手を伸ばすのは助けるのではなく自分自身をも守るためなのだから。

 月の光を十分に浴びて、「午後の部」を始めようかと、そう思い始めたときだった。

「楽しそうだな」

 突然の声に、緊張した四つの目が主を探す。

 人間に見られてはいけない。それは、本能的な警戒だった。あれは、何をするかわからないから――。

「こんばんは」

 眼鏡をかけた優面の男は、睨みつける紅い目をものともせず、にっこりと微笑んだ。害意はなさそうだが、油断は出来ない。二人は、互いの手をしっかりと掴んだ。

 自分たちを脅かすなら、排除しなくてはならない。二人は、どれだけの力を持とうと少数であり、力だけではどうにもならないことがあることも知っていた。

 だから、互いに生き延びるために他の命を奪うくらいのことは、何でもない。

「良い月夜だな。少しくらい、遊びたくなる」

「消えろ!」

 渾身の力で、術をかける。これで、男は跡形もなく逝ってしまう筈だった。つないでいた白髪の手が、本来のものにもどるのがわかった。黒髪自身も、かなり疲れている。

 ただ物たちを動かすのと生きているものを壊せるだけの力を放つのとでは、消費する力が段違いになる。 それまでに使った力をあわせても、白髪だけでなく黒髪も、限界が近いとはっきりと判る。

 でも、大丈夫。これで危険は去ったはずだ。今日休めば、明日からはまたいつもの生活に戻れる。

 ――その筈、だった。 

「危ないな」

 術で霞んだ空間の向こうから、どこかのんびりとした声が聞こえる。

 黒髪は、疲れて片膝をついたまま、片手でぐったりとした白髪を背に回して庇うと、男を睨みつけた。術も使えない。体力もほとんどない。それでも、大人しくするつもりはなかった。

 術の名残が晴れて正常になった世界で、男は、眼鏡の残骸を手にして立っていた。ズボンに半袖開襟シャツ、下駄と、昔の新聞記者のような格好をしている。

「酷いな。一言いってくれれば、眼鏡を無駄にしないですんだんだが。ん? もう一人はどうした?」

 言いながら、背に回された手に気付いた様子で、ああ、と呟いた。

 眼鏡に残ったガラスの破片を払い落とし、男は、フレームだけになった眼鏡をかけ直した。妙な格好だが、黒髪に笑う余裕はない。じりじりと、男の様子を窺う。

「あれだけ派手にやれば、戻るのも仕方ないか。まだ子供だな」

「俺達をどうするつもりだ」

「やっと口をきいたな」

 敵意だらけの台詞だが、男にひるんだ様子はなかった。むしろ楽しむようにのんびりと、その場から一歩も動かずに言う。

「はじめまして、俺は桜黄桜。君達の噂を聞いたものでな。どうだ、俺のところにこないか?」

 噂? 知り合いの一人もいない、人間にも本性を隠して生きてきた自分達を、誰が噂するのか。

 黒髪は、反射的にそう思った。いつものように白髪の意見も聞きたいところだが、後ろに回した手には、毛皮越しに荒い呼吸が感じられる。無理だ。

 不意に、男が動いた。現れたときからずっと立っていた場所を離れ、二人へ近付く。黒髪は、動けない自分に歯噛みした。どれだけ警戒したところで、これでは意味がない。

「怪しむなと言っても無駄だろうが、そう睨むな」

 男は、わざわざ膝をついて黒髪と目線の高さを合わせ、その額に手を置いた。力が、戻るのを感じる。二人が互いに力のやり取りをするのと同じような。

 だが黒髪は、それに礼を言うでもなく、後ろに跳んだ。男がどんな意図であれ、あれほどの近距離に互いではない誰かがいるというだけで、警戒するには十分だ。

 男は、そんな様子を見て少し笑った。優しい微笑だ。

「良い心がけだ、と誉めてやりたいところだな。でもまあ、今はやめとけ。もう一人も、力がなくなってるんだろう。むしろそっちの方が重症だな」

 混乱する。他人と話をするのも、こんな事を言われるのも、こんな態度をとられるのも、初めてだった。 白髪の意見を聞けないことさえ、少なかったというのに。

 男は黒髪の焦りに気付いているのかいないのか、穏やかに声を出す。

「よく考えろ。俺にお前達をどうこうするつもりはない。返事が訊きたいだけだ。そのためには、お前も相棒と相談した方が良いだろう?」

 間を置いて、黒髪が頭を垂れた。確かに、それはそうだ。白髪は弱りきっていて、もしここを離れるのを男に妨害されれば、最悪――

「そこ、動くな」

「ん? それで気が済むなら構わないが、早くしたほうがいいんじゃないのか。月の光じゃ足りないだろう、そこまでいったら」

「…動くな」 

 男は、白髪の力の元さえ知っているようだった。

 黒髪は、男がその場に立ったままでいるのを見つめながら、慎重に、手探りで白髪の額を探った。悔しいことにあの男のおかげで、黒髪の力はほぼ戻っている。それを白髪に分ければ、男には敵わなくとも、白髪を失うことはないはずだ。

 そっと力を込め、移っていくのを感じる。手を触れた額も、毛皮ではなく、人に似たつるりとした手触りに変わる。

「――ありがとう」

「戻ったか。やり取りは聞こえていたか? もう一度繰り返したほうがいいなら、そうする」

 黒髪と白髪はじっと互いを見詰め、離れたところに立つ男を見た。

 ただの人間では、ない。それは、一目見たときから判っていた。力が、最盛期の二人分を合わせても足りるかどうかといったほどに大きいのも、判っている。そんな人間がいるとも思えなかった。だが、では何かとなれば、わからない。

「あなたの目的は何ですか」

 白髪がそう問うと、男は、かすかに笑ったようだった。

「わかってると思うが、お前たちはこの世界の生き物としてははみ出ている。今はまだ生まれたばかりだが、時間が経てば経つほど、そのせいで起きる歪みは大きくなる。俺は、そういった芽を摘む仕事をしていてな」

「ッやっぱり!」

「ああ、殺すつもりはない。ただの兎になるか、俺のところにでも来るか、選んでもらえばいい」

 身構えた黒髪は、ぽかんとして男を見た。あっさりと、思いがけない選択を投げられた。それは、白髪を見ても同じようだった。こちらも、紅い目が真ん丸に見開かれている。

「俺が暮らしているのは、こことは少し違う。そこなら、歪みもそれほど問題にならない。それが厭なら、お前たちの持っている力を貰えば、普通の兎二匹、こっちでも暮らしていける」

 普通の、兎。

 同属たちからも弾かれ、たった二人きりだった世界が、そんなにも簡単に変わってしまえるのか。人の姿を取れるからといって、互いに不安定な力を抱えて人間に紛れて生きていくことも出来ずにいたのに、さも簡単そうに。

 二人は、じっと互いを見詰めた。どうしようかと、問いかけるのに言葉は要らない。口に出さなくても、そのくらいは読み取れた。ずっと、ずっと二人きりだったのだから。

 急かすことなく返事を待つ男を、見た。

「――あんたの暮らしてるのって、どんなとこ」

「そうだな…年がら年中桜が咲いてる変なところだ。一応俺は家を建ててるが、その辺に住み着いたってかまわないだろうな。気候も大体春並だから、凍死もないだろう。たまに人が通るかも知れないが、やりすごしていい。幽霊みたいなものだ」

「どうして、…殺せば早いんじゃないんですか」

「折角生きてるのに悪いだろ。考える時間がほしいなら、また来る」

 顔を見合わせた二人は、背を向けかけた男に、声を揃える。限界があることは、二人にもわかっていたのだ。

「待って」

「あ?」

「とりあえず、連れて行ってもらえませんか、そっちの世界に」

「見てからじゃないとわかんねーよ」

「…へえ?」

 まじまじと二人を見詰めた男は、にっと笑った。急に、感じが変わって戸惑う。

「ところで、名前は?」

 二人は、困ったように顔を見合わせた。互いしかいなかったから、必要もなかったのだ。「自分でない誰か」は、一人しかいなかった。

「なんだ、ないのか? それじゃあ…自分で考えるか? 俺がつけるか?」

「…つけてもらったほうが、いいです」

 目で相談した末に、白髪が告げる。二人とも、良さそうなものが思い浮かぶ気がしない。

 男は、自分で言っておきながら困ったように頭を掻いた。じっと見詰めると、少しばかり怯んだように、視線を泳がせる。上を向いても、満月しかない。

「うーん。白兎、黒兎じゃ駄目か?」

「それはちょっと…」

「もっと真面目に考えろよ」

「いや、真面目なんだが」

 小さくぼやいて、すねるように二人を見た。そうすると、意外に幼く見える。この人、一体幾つなんだろう。意図せず、二人に同じ考えが浮かんだ。

 見かけだけなら、この学校に通う生徒とあまり変わらないように思えるのだが、それにしてはさっきは迫力があった。だが、先生たちよりも年上には見えないが、先生には、あそこまでの迫力はない。そうするともっともっと年上なのか、生徒たちと同じくらいの年で、あの迫力は個性なのか。

「トゥーイン、トゥーヤン」

 二人が悩んでいると唐突に、まず黒髪を、次に白髪を指して男は言った。紅い目を丸くする二人に、にやりと笑い返す。

「決定だな。嫌なら、自分で考えろ」

 こうして、「兎陰」「兎陽」という名が、双子にはつけられた。これもそのままだと気付いたのは随分と後になってのことで、このとき二人は、ただただ、不思議な響きに吃驚していた。

「俺のことは好きに呼べばいい」

 …やがて、校庭には何事もなかったかのような静かさが戻っていた。

 夕方には整然としていた体育祭の名残は、運動場のあちらこちらに散らばっていたが、動くものは何一つない。翌日にはそのことで持ち切りになったが、誰一人として犯人と名乗り出る者はなかった。

 だから、生物部の飼育小屋から兎が消えていたことは、ごくごく小規模な騒ぎで終わってしまった。

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