精霊流し

「飲もう」

 眼鏡の友人の突然の出現に、意味もなく頭の中をエンドレスで駆け巡っていた『戦争を知らない子供達』が止まる。一瞬、その事に礼を言うべきだろうかと、どこまでも馬鹿なことを考えた。

「顔見るなりそれかよ」

 利根川成一[とねがわ せいいち]は、怒ったような表情を作ろうとしたが上手くいかなかった。どう頑張っても、苦笑いにしかならない。

 大体、成一にとっては目の前の男と話すことも、酒を飲むことも好きなのだから、文句の言い様もない。ただ、素直に喜ぶのはなんだか癪なのだ。

「嫌なら帰るが?」

「誰が嫌なんて言った。つまみ、何か食いたいものがあったらかごに入れてこい」

 眼鏡の向こうでゆるりと笑い、酒の入った袋を持ったまま、店内の棚に向かっていく。深夜のコンビニに、客はこの桜黄桜[さくら きおう]を含めて数人しかいなかった。バイトも、後は交代を待つだけだ。

 外はやっぱり蒸し暑いんだろうな、と考えながら、成一は無闇に明るい店内をぼんやり見つめるのだった。

*   *   *

 川で飲みたい、と言ったのは黄桜だった。悩んだ末に成一は、川と言えなくもない、アスファルトに取り囲まれた流水の近くの土手に腰を下ろした。

 地面には、既にさっきコンビニで買ったチョコや、黄桜の持ってきた立派な手作りおつまみが広げられている。これが深夜でなければ、長閑なピクニックというところだろうか。

「へえ、美味いなこれ」

「お前と飲むと言ったら、トゥーヤンが作ってくれた」

 黄桜と同居している双子の姿が目に浮かぶ。瓜二つで、紅い瞳に白い髪の少年がトゥーヤン、紅い瞳に黒い髪の少年がトゥーインといった。

「礼言っといてくれな」

「ああ。さもしい食生活だから泣いて喜んでいた、と言っておこう」

「話を作るな」

 不意に、成一のガラスのコップを持つ手が止まった。視線の先には、薄闇に子供の姿が浮かんでいる。まだ幼いとさえいえそうだ。周りに、保護者らしき大人の姿はない。

「迷子か? 悪い、持っててくれ」

 ためらいもせずに子供に歩み寄る成一に、黄桜は口の端を上げる。その様が、「優しいな」と言っているようであった。

 ゆっくりと、口に酒を運びながら水辺の二人の様子を見ていると、ニ、三言葉を交わし、子供が成一にしがみついたようだった。あの男は警戒心を起こす気を無くさせるからな、と、眼鏡の奥で目を細める。  

「何を笑ってるんだ?」

「ああ・・・。優しいな、お前は」

「普通だろ」

 少し照れながら、服のすそを掴んで放さない男の子に一掴みのチョコレートを渡す。泣いた跡のある顔に、笑みが浮かぶ。それを受けて、成一の顔もほころんだ。

「そういうところ、優しいって言うんだよ」

 見返りも求めず、厄介も厭わず、自然に手が出せる。成一が思っているよりもずっと、そんな人物が少ない事を、黄桜は知っている。

 黄桜の小さな声には気付かなかったのか、成一は男の子を見て和んでいた表情を引き締め、声をひそめて言う。

「なあ、これって傍から見たら無茶苦茶怪しくないか?」

 幼児誘拐に見えるかな、と。万が一そうなった場合、ほとんどバイトで食いつないでいるような成一は一般的には怪しい事この上ないし、黄桜に至っては社会的身分は一切ない。黄桜は、年中桜の咲き乱れる、こことは違った空間で暮らしている。おそらく、成長も止まったままに。

 黄桜一人だけなら、誰もこいつが犯罪を起こすなんて思いもしないに違いない。舌先三寸はお手のものだし。黄桜は口から先に産まれたと、成一は確信している。

 段々逸れてきた思考を透かし見るかのように、黄桜は苦笑した。

「大丈夫だろう」

「そうか?」

「親子に見える」

「お前の方が年上だろ」

 透明なコップを受け取り、男の子を見る。古びた格好で、良く見てみると多少の擦り傷もあるようだが、あまり疲れた様子はない。今は、嬉しそうにチョコレートを食べていた。

「それで? やっぱり迷子だったのか」

「ああ。ずっと探してたんだってさ。帰るところが判らなくなったって」

 どうしようかと言い、酒を口へ運ぶ。

 どうすれば、家に帰らせてやれるか。酒に酔いにくい頭を稼動させて考える。まずは話を聞いて、考えて、手におえなければ最終的には時間を待って、交番にでも行くか。さっき幼児誘拐に見えないかと言っておきながら、交番で疑われるかもしれないとは考え至っていない。

 黄桜は、そんな成一の考えを見て取って微笑した。もっとも、薄闇に紛れて成一には見えていないのだが。

「素直だな」

「はあ?」

「誉めてるんだ」

「・・・馬鹿にされてる気分だ」

「人を信じられないとは、世も末だな」

 内心、俺がそれを言うのかと冷笑しながら。

「少年」

 男の子が、呼ばれた事にも気付かず他意なく無視するのに構わず、目線を合わせて腰をかがめ、掌に載せた笹舟を見せる。男の子は、チョコを食べるのも止めて、じいっとそれを見つめた。

「これで帰れるだろう?」

「うん。ありがとう、お兄ちゃん」

 掛け値無しの笑顔で、男の子は船に手を伸ばした。触れた瞬間に、その姿が掻き消える。

「黄桜?!」

 笑みだけを返し、一人、流水に船を流す。

「黄桜、あの子は・・・・・?」

「・・・・成一、そこの船を持ってきてくれないか」

 飲んでいた草叢には、雑草に紛れて幾つもの笹舟が転がっていた。成一は、それを丁寧に拾い上げて黄桜に渡す。黄桜の表情は、眼鏡と薄闇に遮られて見えない。黄桜は、静かに船を水に浮かべた。

 精霊流しか、と、成一は根拠もなく思った。

 しばらく、どこかの車の音だけが聞こえた。笹舟は、もう見えない。

「家族に。暑中見舞だな」

「立秋はすぎたぞ」

「それなら、残暑見舞だ」

 変わらず、黄桜は川を見ている。

「意外か?」

「何が」

「俺に親がいることが」

「当たり前だろ」

 無意識に目的語を省き、立ち尽くす黄桜に言葉をつなぐ。

「神様にだって親はいるんだぜ?」 

 釈迦もキリストも、天照大神も、実は、さっき挙げた神も、取り敢えずは親がいる。増して、人であれば当然だろう。子が認めるか否かに関わらず、少なくとも存在はするのだ。

「・・・・ありがとう」

 黄桜が、小さく笑った。


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