午睡の世界

「鳥だ!」

「どこどこ?」

 白い髪が、大きく揺れる。下を向いていた頭が、鳥の言葉に反応して勢い良く跳ね上がったのだ。

 その髪の上にも、ほのかに赤だったりほとんど白だったりと、様々な桜の花びらが降り注ぐ。やや強い風が吹き桜吹雪が強まり、二人は、それらに負けないように大きく目を見張った。

 人に気付かれないように昼間は兎の姿のままでいて、しかし夜はそれなりに自由だった生活が終わったのはついこの前のことで、今の方が自由ではあるのだろうが、少しばかり退屈だ。

 家の外には「死者」がいるかもしれなくて、襲ってくるかもしれない。そう注意されても、怯えもせず、こっちから会いに行くのもなんだしなあと、そういった感想しか抱かなかった。

 そんな生き物のいないこの世界で、鳥がいるとなれば大歓迎だ。が、背伸びをして目を凝らし、ついに発見してから、首を傾げた。

「あれ?」

「どうした?」

「鳥じゃないよ、あれ」

「じゃあ何だ?」

「判らない」

 不可思議な、この年中桜が舞い散っているという世界に来て、二人の力の差はほとんど無くなったが、性質の違いまではかわらなかった。喧嘩やかけっこでは勝っているが、感覚的な事ではやはり敵わない。

 だから、そう言うのなら鳥ではないのだろうと素直に受け取りながら、同じように首を傾げてしまう。

「どうする?」

「どうしよう?」

 揃って、こちらに飛んでくる「鳥」を見る。隣の紅い瞳はただ不思議そうだが、こちらは、些か好戦的にきらめく。鳥でも鳥でなくても、遊び相手くらいにはなってくれるかもしれない。

 その考えは、当たり前ながら、読まれていた。

「あの人に用なのかもしれないよ」

「…あいつ、人なのか?」

「多分」

 話がずれている。

 互いしか存在していなかった世界に突如やって来た男の扱いを、二人は決め兼ねていた。この世界の事などを多少は聞いたが、それきり彼らの名付け親は、暇つぶしと称した実験にかかりきりになっている。

 結局自分たちが何故ここにつれてこられたのかも、良くわかっていない。抜けているのか、わざとやっているのか。

 とにかく、あの桜黄桜というのはよくわからない男だ。

「トゥーイン、トゥーヤン。飯は食べたか?」

 唐突に窓から顔をのぞかせた黄桜に、二人は呆れ顔を返した。この数日間何も口にしていないのは言った本人だけだ。二人は、あるものは好きに使っていいという言葉に遠慮なく、ご飯も食べている。

 それに気付いたのか、黄桜は「それならいい」と言って、少しきまり悪げに窓から頭を引っ込めた。その窓に、白い「鳥」が滑り込む。その、直後。

『おい、桜、今から行くぞ』

 聞いた事の無い声だ。

 二人は、跳び上がって窓から中をのぞいた。そこには、やはり黄桜しかいない。「鳥」さえも、姿が見えない。

 黄桜は、そんな二人の姿を見止め、窓から顔を出した。少し困ったように言う。

「今から知り合いが来るようだ。悪いが、会ってやってくれるか? 会わせろと煩くってな、とうとう痺れを切らしたらしい。そう悪い奴ではない、と、思う。ああ、そこら辺にいれば、向こうから寄って来るから適当に相手をしてやってくれ。俺は顔を洗ってくる。あれは、こういうのにはうるさいからな」

「俺がうるさいのではなくて、お前がずぼらなだけだろう」

 出し抜けの声にぎょっとして、二人は飛び上がった。

 いつの間にか、二人の背後には大正頃の書生のようななりをした二十代か三十代くらいの男が立っている。黄桜よりも背が低いが、やけに堂々としているのは、存在感があるとでも言うのだろうか。

 男は、にやりと笑って黄桜に手を振って見せた。

「早く行って来い。見苦しい」

「そっちこそ、千年だか百年だか遅れた服装を何とかしろ」

「これが一番楽なのだ」

 黄桜は、それを背で受け流して家の奥へ入って行った。手に提げた包みは、男の土産だ。

 男と家とに挟まれた格好で、二人はよく似た顔を見合わせた。互いに、髪の色が違うだけのもう一人の自分の瞳の中に、多くの疑問と少しの警戒、押さえ難い好奇心の存在を見止め、小さく笑む。

「ねえ、おじさん!」

「おじ…」

「あんたがあいつの知り合い?」

「さっきの鳥って何? どうなってるの?」

「あんたも変な仕事してるのか?」

「ねえ、あの鳥って生きてないよね?」

「黙れっ、喋らせろ、こら、しがみつくな、危ない!」

 左右から弾みをつけて跳びつかれ、男は、頑張りはしたものの、努力も虚しく倒れてしまった。ちゃっかり、二人は男を下敷きにしている。

「く…不覚」

「あの鳥は?」

「あんたたちの仕事って何なんだよ?」

「ええい、教えてやるからのけっ、家に入れろ、酒と菓子でもてなさんかっ」

「はーいっ」

 ぴょん、と男を踏みつけて上からのく。ぐえ、と声を漏らした男は、恨めし気に二人を見たが、仕草ほどには怒っている様子もなかった。

 起き上がって体にくっついた桜の花びらを払い落としながら、男はまじまじと、二人を見つめた。二人も、見詰め返す。黄桜とは違い、髪も瞳も真っ黒だ。

「ふうん、本当にそっくりだな。しかも結構な強さではないか。ところで坊主たち、名は?」

 二人は、互いに目を見合わせた。

「おじさんは?」

「名前をきくなら先に名乗るべきだろ」

「名を持っていなかったにしては真っ当な反応だな。さては桜の入れ知恵か」

 わしわしと、男は二人の頭を撫でた。妙にくすぐったくって、その手を払い落とそうとするのだが、そうとわかって、むしろむきになって撫で続ける。結局、男の気の済むまで髪の毛をかき回されることになった。

 そうして、入り口へと移動しながら話は続く。黄桜と違い、随分と喋る。

「どうせ無闇に名乗るなとでも、桜は言ったんだろう。だがな、お前らを名付けたのは桜だろう? それなら、ちょっとやそっとの術にかかることもないだろうさ」

「で、あんたの名前は何なんだよ」

「…お前なあ、それってどういうこと、とでも言えんのか。気にならんのか。知識は増えれば増えるほど面白いのだぞ」

「ねえおじさん」

「おじ…。まだ名乗ってなかったな、俺は竹葉尚良。竹葉お兄さんとでも呼べ」

「竹葉さん、桜って、あの人のこと?」

「ん? ああ、そうか、そうだな。名は聞いてるのだろう? 桜黄桜。そう呼んだっておかしくはないだろう?」

 何故かそこで、竹葉はにやりと笑った。何か企むような笑い方だが、二人はそのままやり過ごすことにした。

 その呼び方が、姓ではなく黄桜の本来の名を取ったものだと知るのは、ずっとずっと後になってのことだ。ほんの些細な嫌がらせだったと知るのも、その時のこと。

「で、チクハも死者とかの変な仕事してるのか?」

「呼び捨てか…」

 はああ、と大袈裟なため息をついて、竹葉は案内もなくたどり着いた部屋で、床にどっかりと腰を下ろした。二人も、少し離れた向かい側に、ちょこんと座る。

「俺の方が、桜よりも長い。だがまあ、そうだな。同僚ってやつか。ここの事は聞いているのか?」

 二人が互いに見顔を合わせると、なるほどなるほど、と一人合点した竹葉は、勝手に説明を始めた。

 曰く、ここは死んだ人間が次の段階に行くための通り道だ、と。それも、一度はその道筋を見失った者専用の。ここを抜けた先に何があるかを知る者は、少なくとも管理人――黄桜や竹葉のような者たちの中にはいない。

「何しろ、俺たちはまだ死んではいないからな。お前たちだってそうだろう? ここを抜ける扉を見つけられるのは、真っ当に死んだ奴だけだ。だから、死から外れてしまった俺たちにはその先は判らないのさ」

 そう言って、笑う。

 何だかんだとやり取りをしているうちに、黄桜も部屋に入ってきた。ついでに着替えたらしく、瞳に合わせたかのように、薄青の刺繍の入った満州服に身を包んでいる。

「なんだ、人の格好に文句をつけておいて、お前は国が違っているではないか」

 黄桜は、微笑した。それを受けて、何故か、竹葉は納得したようだった。ああ、と呟いたきり、それ以上言おうとはしなかった。

 それも、後に知る。黄桜の父親は大陸の人間だったのだという。それなら、大きく間違いというわけではない。

 竹葉が要求した通りに、土産に貰った菓子と、竹葉の前にだけ酒、他には紅茶を並べ、くだけた会話は続いた。主には、竹葉の独壇場だ。

 そんな中で不意に、竹葉は遠い目をした。

「陰陽寮というのを知っているか?」

 知らない、と二人は揃って首を振った。二人は黄桜や尚良とは違って、見た目通りの年齢だ。それに、学校の飼育小屋の中では、知っている事の量もそうはない。

 竹葉は一人、酒盃を干す。

「知らないか。まあ、ごく簡単に言えば――占いや呪いなどを扱っていたところだ。俺はそこで働いていたのだが、さっき君が言った鳥も、そこで学んだものだ」

 そして、男は笑った。

「俺は、ある貴族を呪殺しようとしたとされてね。学びに学んだ知識が仇になったな。家族を殺された。――知っているか? 俺や桜は、もう死ぬことは無い。仙人のようなものだ。――ああ、知らないのか? 知っている? それならいい。ところで、仙人とは決定的に違うことがある」

 その笑顔は明るくて、それが厭だった。恐かった。

「狂うのだ。仙人のように永い時を楽しめず、狂ってしまう奴が出る。そういった奴らは、同じように死なない奴らに、言わば仲間に、消されるのだよ」

「ああ。お前が狂ったら俺が始末してやるから、安心して滅びろ」

 冷たく云って、黄桜はテーブルの菓子を齧った。

「トゥーイン、トゥーヤン。これの言うことはあまり気にしなくていい。悪趣味なことに、人を恐がらせるのが好きなだけだからな」

「失礼な奴だ」

 二人は、ただただ会話に眼を見張っていた。

 今、自分たちはどこにいるのだろう。確実なのは、確かなものはお互いだけということだ。この片割れだけは、「わからない」ものにはならない。自分以外に、唯一大切なもの。

「しかし珍しいな、お前が生き物に興味を持つとは。まあ、特殊ではあるだろうが」

「竹葉。他に用件は?」

「用件? ああ、それは」

 ゆっくりと、黄桜の瞳を見て笑んだ。

「―――暇なのだ」

 一瞬、黄桜が硬直し、みるみる蒼褪めていく。冷や汗をかいているのが、傍目にも判った。

「…姉ちゃん…」 

 虚ろな眼が、隣を捉える。びくりと、その眼をまともに覗き込んだ体が、強張る。

「…っ、違う、姉ちゃんは…っ……お前じゃない…ッ!」

 一瞬だった。

 黄桜が跳びかかり、しっかりと繋いでいた手が離れた。いつの間にか黄桜の手に握られていた棒が、小さな体を貫く。ただそれを、見ていた。

 何も、聞こえない。

 何も、この手にはない。

 ただ、体がひどく熱かった。

「―――――っ」

 出せるだけの「力」を込めて、黄桜の背にそれをぶつける。黄桜が小さな体に覆い被さるように倒れて、動かなくなる。

 そうしてそこにただ、立っていた。確かめることも出来なかった。

「桜。できない事は、言うものではないぞ」

 声だけが聞こえ、兎陰は全てを知った。



「トゥーイン、飯の時間だ。寝てると無くなるぞ」

「…タイレン?」

 兎陰は、ソファから身を起こした。近くに本が落ちている。どうも、読んでいるうちに眠ってしまったらしい。

 外は、昨日と全く同じ暮色に染まっている。この世界には、天候の変化こそないが、日暮れや夜明けはやって来る。  

「ほら、行こう」

「うん」

 元気に応えて、黄桜の横に並ぶ。

 今ではもう、世界が己とその分身だけでないことにも慣れた。当然のように黄桜がいて、いつだったかには、成一という少年もやって来た。そんなこの世界を、楽しんでいる。

 兎陰は、覚えていなかった。

 自分が現実を基にした、しかし少しずつずれた悪夢を見て、最後には、それが夢であると気付いた事に。それを振り返って、恐ろしく思った事を。

 兎陽を失う事は何よりも恐ろしくて、でも今あの状況になって、自分はどうするのかと考えた。黄桜を、殺すのだろうかと考えた。大切な人になってしまった黄桜を、半身を奪ったからと、殺せるのか。殺して、後悔せずにいられるのか。

 そこで途切れてしまったことも、覚えていない。

「トゥーイン、寝るなら本はちゃんと閉じておけよ。傷むだろう」

「そうだよ。トゥーインは、もうちょっと丁寧に扱うようにしなくちゃ」

「二人して言わなくったっていいだろ。…気をつけるよ」

 変わらない光景に、兎影は疑問も安堵も抱かなかった。今やこれが、当然の状態なのだ。 

 夢は、目覚めたら忘れていた。 


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