俺は、倒れた自転車を呆然と眺めた。買ったばかりのそれは、早くも修理に出さなければならないようだ。いや、「買ったほうが安い」と言われるかもしれない。
「そこの若いの、何をぼけっとしておる。早く避けんかい!」
台詞とミスマッチな若い声に思わず飛び退くと、その直後に、俺がいた場所は光の塊の様な熱を浴びていた。血の気が引く。
「何をやっとる、走れ!」
必死で走り出す。無我夢中だった。
高校時代の体育の授業よりも速く、数百メートルほど走ったところで、ばてた。一体、何故走っているのか。そう思うと、もう走り続けることができない。丁度、何処かのコンビニに着いていた。見覚えがあるような無いような・・・・ここは、どこだ?
「中野、久しぶりだな」
「・・島田?お前、この近くに住んでるのか?」
「ああ。中野は何やってるんだよ、こんなところで。この近所じゃないだろ」
「うん、実は俺もよくわからないんだ」
「なんだそりゃ」
呆れる島田の顔を見ていると、ようやく落ち着いてきた。
島田は、高三の時のクラスメイトだ。特によく話すわけでも、全く話さないわけでもなかった。俺にとって、あと半年もすれば、すれ違ったくらいでは名前が浮かんでこなくなるような存在だ。多分、島田にとっての俺もそんなものだろう。
学校というのは奇妙な場所だ。たくさんの人間が、半ば無作為に長時間同じ所に放り込まれているのだから。
不意に出会った意外さも手伝って、俺は、誘われるままにジュース片手に近くの公園で話すことにした。ついさっき思い出したことだが、島田は、いつもかけていた眼鏡をかけていない。コンタクトにでもかえたのだろうか。まあ、どうでもいいことだ。
「同窓会やるって話、聞いたか?」
「え?もうやるのか?」
「夏休みにでも、って。中野、行く?」
「あー、どうしようかなあ・・多分、ひまだったら」
「そっか。いいな」
「は?」
「俺、行けないから」
「まだいつやるか決まってないんだろ?」
無理やり幹事にさせられてしまった相川の顔が浮かんでくる。たしか、かなりの優柔不断だったはずだ。
「多分」
「それなら、どうして」
長い沈黙があった。突然、闇が覆い被さってきた。何故、こんな人気の無いところに来てしまったのだろう。話なら、コンビニの傍ででもできたのに。どこかで、何かが、危険だと叫んでいる。
「あのさ・・」
「中野って、いつもマイペースだったよな。誰が何してようとお構いなしで、やりたいことをやってた」
帰ると言おうとして、さえぎられた。何故か、口を出し辛い。
「だから俺、ねたましかった。お前が俺に無い物ばっかり持ってて」
――こいつは誰だ!?
それがゆっくりと立ち上がるのを、ただ見ているだけしかできなかった。微動だにできず、底の無い恐れだけが膨らんでいく。そいつは、俺を見た。島田だった。ただ、頭がつぶれただけの。
「死にたくない・・・・・」
そのあとは、もう言葉になっていなかった。言葉にならない言葉をつぶやきながら、そいつは一歩一歩緩慢に近づいてくる。俺は、声も出せなかった。
そこに、誰かがやってきた。俺と同世代の男。
「やれやれ、勘の鈍い男じゃのう」
「あ・・。さっきの・・・・」
「若いの、邪魔じゃからそっちへ行っておれ」
「なっ・・」
「死にたいのか」
その声は、飄々としながらも鋭さを含んでいた。俺は何も言えずに、後ろへ下がった。見えない呪縛は、無くなっていた。
「おぬしも、往生際が悪いぞ。何をしても死者は生者には戻れぬ。知っておろう。己の手で、大切だったものを壊してゆくだけじゃ」
立ち止まっていたそいつは、急に動き出して、男に襲いかかった。男のほうは、それを予期していたらしく、一撃・・そいつの放った白い光・・を軽々と避けると、どこからか出してきた棒を構えた。如意棒みたいだと、こんな状況ながら思った。男は、棒をそいつの胸のあたりに突き刺した。にごった液体をまとわりつかせて、そいつは倒れた。
時間がたっても、そいつは起き上がら無かった。
「おぬしも早くここを離れたほうが良い。誰かに見つかると厄介じゃからの」
それだけ言って、男は立ち去ろうとした。倒れたそいつも気にせずに。
「ま・・まてよ。なんなんだよ、これ・・これは誰なんだよ・・・・」
「島田敏弘じゃよ」
「え・・・・?」
「良いか。世の中に、おぬしの知らぬことは山程ある。その中には、知っておくべきことや知っておいたほうが良いこともあるが、知らぬ方が良いこともあろう。今夜のことは、気にせぬほうが良いよ」
数日後、俺は同窓会の決行と島田の死を知った。
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