海の向こう

 なんだか、頭が痛い。 

 どこかにぶつけたのか、たんこぶは出ていないみたいだけど、ずきずきする。

「・・・・? なんだ、ここ?」

 おかしい。日差しは変わらず強いし、俺も海パンと似合わないサングラスをしたまま。でも、波の音は異様なほどに響いていて、さっきまで掃いて捨てるほどいた人が、いない。誰もいない空間には、砂と海と空と・・俺が、詰め込まれているだけだった。

 ――何? 何かあったのか?

 脳裏には、ハリウッド映画ででも見たような大爆発。

 しみじみと、自分の発想の乏しさが情けない。何かあったっていうと、爆発しか出てこないのか、俺は。大体、そんな爆発があって、俺一人こんなところでのほほんと立ってるわけがない。

 上からは太陽に、下からは砂に焼かれて、俺はぼんやりと立っていた。波の音が響く。波音だけしか、していない。よぎるのは、微妙な違和感。

 ――違和感? 何が・・・

「なんで、人が・・・」

「・・・・んあ?」

 間抜けな声と、(おそらく)間抜けな顔で振り向いた。そこには、俺と同年代の男が立っていた。定番のジーンズにTシャツが似合っているのが、なんだか悔しい。

「なんで・・・今日は・・・」

「お前、なんでって、ここがどうなってるか知ってるのか?」

 声に反応して、ようやく眼の焦点が合う。こうやって見ると意外に幼さが残っていて、俺よりも年下かもしれないと思わせる。

「・・・あんた、澤田靖?」

「はあ? 誰だそれ」

「違うのか。・・ってことは・・・」

 睨むのとは違う、強い視線が俺を捕らえる。すぐにそれをやめると、今度は深深と溜息をついた。心無し、口調が疲れている。

「迷子か。参ったな、なんだって休みの日に」

 ――大丈夫か、こいつ?

 突然。掛け値無しに突然。違和感の理由がわかった。ここには、生き物の気配がない。鳥も虫も、それどころか木々さえ少ない。防波堤の向こうには、大きな緑の塊が合ったはずなのに、それが丸々消えている。

「な、なあ、ここって・・・」

「シシャだ」

「・・使者?」

 男が視線を向けている先を見ると、皮膚の爛[ただ]れた人間がいた。・・いや、爛れてるんじゃない。腐って、皮膚が滑り落ちてるんだ。落ち窪んだ、元は眼があっただろう空間が、俺を向く。

 何よりも先に、生理的な悪寒がはしった。

 男が、何かを叫ぶ。あれの歩みが、さらに鈍くなった。

「ちくしょう、こんなの専門外だ」

 言って、俺の腕を掴んで走り出す。高温の砂は、走りにくいなんてもんじゃなかった。それでも走って、俺達は海の家の中に隠れた。あれは、それがわからずに、ただ砂浜をさまよっていた。

「ふう・・時間が経ってなくて、助かったな」

 あれを見て、男はそういった。視線は、まだあれに向けられたままだった。

「・・どう、なってんだよ・・何なんだ、ここ・・・・」

「あの世とこの世の通路みたいなもんだ。あんたは、そこに迷い込んだんだよ」

「・・・・死んだってことか?」

 今になってようやく判った。「シシャ」は「死者」だったんだ。

「いいや。まだ生きてるさ。俺はそういうの見分けられるから、確かだ」

 波音。

 波音だけが、強く俺の耳を打った。

「お前・・・何者なんだ・・・?」

 笑った。自嘲じみた、陰のある笑顔。

「さあ。俺も、それを知りたいと思ってここに来たんだけどなあ」

「・・どういうことだ」

「俺、ここで死んだから。ああ、大丈夫、あんな風にはならない。俺は、・・俺達は、ああなったやつらやあんたみたいに迷子になった奴をあっちに行かせるために、機会をもらって働いてるから」

「働いてる?」

「そう。丁度二年になるのか。・・ここ来たら、何か色々答えが見つかるかもしれないって思ったんだけど、あんたいるし、死者もいるし。わざわざ、ここで誰も死なない日に来たってのに」

 一応、その日にどこらへんで誰が死ぬかってのは前もってわかってるんだ、と、男はいった。変わらず、視線は砂浜に向いていた。

「なんかさ、死ぬなんて思ってなくって、突然断ち切られて。しかも死んだけど死んでないだろ? わけわかんなくてさ。仲間は、長いことこんなことやってるらしくて、何があっても動じないように見えるし。俺だけ、中途半端なんだよ」

 泣くかと思った。けど、男はそうはしなかった。自分を笑うようにそう言って、炎天下にいる死者を見ていた。

「俺に・・そんなこと言っていいのかよ・・・」

 平凡で、ただ短調だと文句を言っていたことが後ろめたくなっていた。

 男は、奇妙に表情のない目を俺に向けた。

「いいんだよ。あいつらには愚痴れないし。――あんたは、ここのことなんて覚えてないんだから」

 男が、俺に手をかざしたところまでは覚えている。でも、その先は・・・知らない。

*   *   *


「安田ー、大丈夫かー?」

 上から、橋本が見下ろしている。・・頭が痛い。

「お前、派手に転んだんだぜ。注目浴びるわ目ぇ覚まさないわで、マジ慌てたんだからな。――木津達? あっちいったよ」

 外の世界では、暑い光が降りていた。パラソルの陰で、俺は橋本の頭の向こう側に海を見ていた。 


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