「あ。いらっしゃい」
まだ幼い声。それには聞き覚えがあった。それは厭な記憶と結びついていて、できるなら二度とは聞きたくなかったものだった。
「あんた・・・なんで?」
出てきたのは予想通りに一度会ったことのある一見子供で、呆気にとられてたち尽くした。それまで、これから全く新しい人生が始まるのだと、逃げ出したくなるほどの緊張に包まれていたというのに、呆気なくそれも吹っ飛んで。
「いや、なんでって言われても困るんだけど? ロクダイー、来たよ。新入りさん」
「おお、そうか」
呼ばれて出てきたのは、着流し姿の同年代か、少し上くらいの男。こんなときながら、男前なことに少し悔しさを感じた。死んでまで馬鹿だ。
店は異常なほどに雑然としていて、果たしてこれを「店」と呼んでいいのかと、客商売でこれはどうなんだと、言いたくなるくらいに埃が積もっていた。それなのに床だけは余り汚れていなくて、それが妙だった。
小学生くらいの、少し生意気そうな少女と着流し姿の優男[やさおとこ]は、頭二つ分くらいはありそうな身長差で並んで、にっこりと笑った。
「改めまして、だね。これからよろしく、セイギ」
無邪気に笑うが、以前に会ったとき――俺が死んだ直後には、随分と憎らしい口を利いた。こちらの感情を逆なでするような、そんな台詞特徴だった。
この仕事ができる見込みのある者がいた場合、既に働いている者が最終確認をしにいくのだと、そのために試したのだと後になって言われたが、だからといって忘れられるものでもない。割り切れもしない。
「何じゃ、もう面識があるのか?」
「うん。ほら、前迎えに行ったのがそうだったから。まさかここに来るとは思ってなかったけどね」
「あれか。――わしとは正真正銘にはじめてじゃな。ロクダイと、呼ばれておる。よろしくたのむ」
「あ・・・はあ。俺は、榊正義っていいます・・・」
目の前で勝手に進む会話と、男の時代がかった口調に呑まれて、俺は随分と間の抜けた声を出していた。
二人はちらりと顔を見合わせて、改めて俺を見た。
「とりあえず座るか? 立ち話もなんじゃろう」
言われるままに椅子に座ると、向かいに二人も座った。
「えーっと。何するかってのは、どのくらい聞いてきた?」
そこからの話は、大体事務的に流れていった。俺が事務所・・・って言って良いのか知らないけど、死んで、彰が迎えに来て、ここに来るまでの間居た場所で聞いた話をして、二人がそれに補足を加えて。
問題なのは、その後だった。
「で、セイギは何をする?」
「・・・・・・・・・・・・・・・は?」
非の打ち所のない笑顔で、少女は訊き、男も当然といったかおをしているのだった。
「仕事。何にする? ちなみにあたしは何でも屋で、ロクダイは雑貨屋」
「・・・いや、あの。仕事って?」
幽霊たちの案内をすればいいんだろ? と重ねて訊くと、相手は動じずうなずいて、「それは裏の仕事だから。表は何をする?」とあっさりと言い放ったのだった。
「あたしたちも手伝うけど、基本的には一人でやれることを選んでね。それと、基本はここに置くこと。何でも屋も、やるのは大概外だけど受け口はここだからね」
「資本金がいくら、とかいうことは余り心配せんで良い。ああ、何も今決めろとは言わぬよ」
そう言って、男は仕入れがあるから、と席を外した。
残った少女は、じゃあ部屋に案内しようか、と立ち上がった。
「なあ」
「何? あ、のど渇いたなら台所そっちだから。適当に飲んで良いよ。ご飯は・・・材料、まだあったかなー。この頃面倒で、食べてなくてさ。ほら、食べなくても大丈夫だからつい」
「いや、そんなの訊いてるんじゃなくて」
「そう?」
とてつもなく非常識な現状に頭がくらくらしながらも、どうにか言葉を押し出す。少女は、あのとき――俺が、死んだあのときと同じ真っ直ぐな眼を向けた。
「・・・俺、本当にここに居ていいのかな・・・」
何も言わずに、少女は先を促した。
「だって、死んだのに。意志が強いとか言われても、良く判らない。弱さに負けたら滅ぼされるだけだとか、言われても。なんか現実感ないし・・・」
「それは、自分が死んだことが信じられないってこと?」
「いや。それは、わかってる・・・と思う。そうじゃなくて、なんて言うか・・・なんか、違うような気がして・・・」
ふうん、と少女は小首を傾げた。何故か、無表情に見えた。
「あたしは、自分の判断が間違ったとは思ってないよ。それで、迷うのが悪いとは言わないけど、セイギはあのときに決めたんじゃなかった? それともあれは、その場の勢いだった?」
違う。
勢いなんかじゃなくて、よく考えて決めた。考えて、もう誰にも会えなくても、それでも、ここに居たいと思った。少しだけでもいいから、ここで過ごす時間が欲しいと。
――そうだった。
「ん? ところでそのセイギって何? なんか、さっきからそう呼ばれてた気がするんだけど。まさかそれ、俺じゃないよな?」
「え? セイギ以外に誰かいる?」
にっこりと笑う小悪魔。
――つまりはそれが、俺をこっちの世界に招いたものだったのだろう。
多少の悔しさはあっても、後悔はなかった。
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