暑い日だった。

 戦争が終わって、ほっとしていた。泣き崩れる人たちもその多くが立ち上がり、この先を考えるようになっていた。不安ながらも、きっと大丈夫だと、そう思っていた。

 だから少し、いやかなり、気が緩んでいたのかもしれない。

 そのとき僕は、妻の八重と、闇市の場を歩いていた。

 八重とは、召集の少し前に結婚した。ほとんど初対面で、一緒にいた時間は、全て足しても一月には満たないだろう。それでも何故か、側にいると落ち着いた。

 たおやかで、美しく聡明な女性。何よりも、心根が美しかった。

 この人を幸せにしたいと、思っていた。

「疲れませんか?」

「いえ、大丈夫です」

 気丈に、そう返事をして微笑む。

 それでも疲れが見えて、僕は、休めるところはないかと、周りを見回した。ふと、不審な動きの男が目に入った。見ていると、盗みを働いているらしいと判ったが、興味もなく放っておいた。ところが男は、こちらに向かってきた。隣で八重が、身を強張らせていた。

 逸らせないのか、向かってくる男の目を、凝視している。目が――合ったのか。

 考えるよりも先に、男と八重の間に割って入っていた。

 男の必死の形相が目に焼きついていたが、八重を見ると、僕を見つめていた。

 背に、衝撃が――次いで熱い痛みがはしり、僕は、堪え切れずに、八重にもたれるようにして倒れ込んだ。

「征さん――!」

 絶望したような、八重の悲鳴に似た声。

 すまないと、思った。



 目を開けると屋根の上で、思わず身をのけぞらせた。

「落ちるよ」

 凛とした声に、体制を整えながら見やると、十前後ほどの、短い髪の――多分――少女がいた。小奇麗な格好に、良家の娘か、しかしそれにしてはズボンだと、首を傾げた。

「落ちても大丈夫だろうけど、趣味がいいとは思えないな」

 冷たく、少女は言った。

 そっと軒下を見ると、さっきまでいた雑踏だった。八重は――いない。

「何があったかは、判ってる?」

「いや・・・。八重は――君は?」

「あたしは、彰。あなたは死んだんだよ、征」

 死んだ。

 一度は覚悟して、しかし遠退いたはずのそれ。

 何故か、嘘とは思えなかった。本当と、納得してしまう。

「八重は。八重は、どうした、無事か!?」

「泣き叫んでたけどね」

「そうか――良かった」

「自分は死んだのに?」

 冷たく、嘲るように、少女は言う。

「あなたは死んでその人は生きてるのに? どうせあなたのことなんて、忘れてしまうのに?」

「ああ。僕の手で幸せにできなくて、すまないと思う。それでも、守れてよかった。僕のことを覚えていて不幸になるなら、忘れて幸せになってほしい」

 反応がなく、少女を見ると、少しばかり不思議そうな、戸惑ったようなかおをしていた。

 どうした、死神のお嬢さん、と言うと、少女は、わずかに逡巡した間を置いて、ようやく口を開いた。

「あなたには、選択肢がある。こっちで、死んで迷子になった人たちを案内する仕事に関わっていくか、このまま、死ぬか。仕事に就いたところで、今まで通りの生活なんてものは確実にできないけど、生きていく――ここに在ることだけは、できる」

「・・・なんと。死んでまで、妙な制度がある」

 少女は曖昧に、笑顔めいたものを見せた。

 そこに、八重が重なった。

 君が例え悲しまなくても、それでもいいんだ。どうか、生きて。どうか、幸せに。

 僕は、少女に微笑みかけた。

「生きたいと思うが、認められるかい?」

「――勿論」

 何故か哀しそうに、少女は、笑った。 

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