最近、彰の様子が変だ。
それは、セイギとロクダイの一致した意見だった。この頃、妙に「子供」っぽい。あの外見だから、傍から見れば違和感はないのだが、中身をよく知っている側としては、何やら居心地が悪い。
「何があったんだと思う? てか、彰がこんな風になったことって、今までもあったのか?」
「わしの知る限りでは、一度ほどはあったが・・・」
朝。まだ彰が起きないうちに、二人は食卓にしているテーブルで顔をつき合せていた。既に朝食の準備は整っており、普段であれば「俺の作ったもんが冷めるのはゆるせんっ」というセイギが、彰を起こしに行っている頃だ。
「その時の原因と解決法は?」
「さあて・・・。気付くと、元に戻っておったしのう」
「何の話してるの?」
淋しそうな声に、セイギは危うく飛びあがるところだった。眠っていると思ったからこそ、こんな話をしていたのに。おまけに、普段小憎らしいほどの彰が淋しげにしていると、どうも調子が狂う。
だがロクダイは、少なくとも表面上、平然と声を返した。
「今朝、食器が妙なところにあったんじゃよ。彰、コップを右の棚に入れたか?」
通常、コップの類は左側の棚に入れるようになっている。無論、実際にはそんな事にはなっていなかったのだが。
彰は首を振ると、自分の席についた。目の前には、ちゃんと和風の朝食が並んでいる。
「・・・食べていい?」
セイギがぎこちなく頷くのを待って、箸を取る。二人もそれに倣いながら、小声を交わす。
「・・・さすが、年の功」
「そう思うなら、少しは敬わんか」
普段より少しばかり遅く、静かな朝食だった。
フライパンで野菜を炒める。野菜の赤と緑が、油と熱で一層鮮やかになる。
隣のフライパンでは、温めて油を引いてから、溶き卵を流し込む。少ししたら、炒めた野菜を卵の上に移せばいい。
そんな手馴れたはずの作業が、今日はやりにくかった。
「なあ、彰・・。見てられるとやりにくいんだけど。・・・あっち行っててくれないか?」
「やだ」
きっぱりと。セイギは、こっそりと溜息をついた。このところ、彰は妙にセイギやロクダイのそばにいたがる。甘えている、といってもいい。
今までであれば、今のように滅多に来ない客がくれば、料理そっちのけで客と雑談でもしているのに。
「ねえセイギ、お昼たらこパイ食べたい」
「はい、これ持って行って。――わかったよ、作るから」
「絶対だよ」
泣きそうな表情で見上げて、どこか怖がるように念を押して。この様子では、皿を持って行くとすぐに戻ってきて、更には、パイ作りの間もずっと見ているのだろう。
「・・・何があったんだよ」
深深と息を吐き、正義はパイ作りに取りかかった。
「彰。・・・彰?」
右肩がしびれている。見てみれば、着物の裾を握り締め、肩に頭をもたれかけたまま、眠り込んでいる彰がいた。
夕食後、本を読むロクダイにくっついていたまま、眠ってしまったようだ。夕食の片付けの終ったセイギが、「お気の毒様」とでも言うように、苦笑して見せる。少しばかり、心配そうでもあった。
「部屋、つれて行こうか?」
「いや、わしが行こう。服も離してくれんようじゃしな」
「じゃ、茶の用意しとく」
「頼む」
袖を掴まれたまま彰を抱き上げ、彰の部屋に向かう。当たり前だが、子供の重さでしかない。
ベッドに寝かせて布団を被せるが、まだ袖は掴まれたままだ。そっと、起こさないように指を外そうとする。
「厭だ、兄[あに]さん・・・行かないで・・・・」
一瞬、ロクダイの動きが止まる。以前にも、似たような寝言を言っていた。
兄がいたのか、と思う。兄と、酷い別れ方でもしたのか――ロクダイは、自分の死に際を重ねて、そう思った。だが、何が出来るわけでもない。
ただこれ以上。本人の意志もなく思い出に立ち入らないよう、静かに部屋をあとにした。
どこか遠くで、戸の閉まる音がした。
ああ。――やっぱり。行ってしまったんだ。帰って来ないんだ。還[かえ]らないんだ。
「兄さん。馬鹿だよ、行っちゃうなんて」
後に、皆が戦争に行かなくてならない時代になったことは「知って」いる。でも。だからといって、悲しみが薄れるわけではない。行かないで欲しいと思った気持ちがなくなるわけではない。
そして、もしあのとき兄が行かなければ。自分はここにはいなかったかもしれない。せめて、ほんの少しだけでも多く、楽しい記憶が増えていたかもしれない。
――独りは怖い。
独りぼっちになってしまう。兄がいなければ、ずっと独りだ。物心ついた頃には、そう思っていた。
涙が零れる。
彰は、それをどこか遠くで感じた。まただ。閉じ込めていなければいけない思い出が、出てきてしまっている。違う。ここは、今の自分がいるところじゃない。
――ごめん、ロクダイ、セイギ。
迷惑をかけてしまった。もう、戻らないと。――大丈夫、明日からはまた、やっていける。
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