暗闇に目が慣れるというけど。あれは、わずかでも光があって初めて成立するのだと、思い知らされた。本当の真っ暗闇だと、何も見えない。
――いやだなあ、バスの電気壊れちゃったの?
そんな呑気な考え方をしているのには、理由がある。だって、真面目に考えたら、今の状況に耐えられそうにない。トンネルの中でバスが事故って身動き取れないなんて、冗談じゃない。絶対新聞に載るよね、とでも考えないと、やってられない。
「暗いね。電気つかないのかな」
服の裾を引っ張るような感覚。暗闇の中で視覚以外の五感が研ぎ澄まされてる状況だけに、ただそれだけで大声を上げそうになってしまった。声は、少し下の方から聞こえる。子供、かなあ。
「ほ、本当。何にも見えないよね、これじゃ」
「だね。ねえ誰か、電気つけられない?」
「わかるかよ、こんな状況で」
遠く・・・確か、運転席に近い方だったと思う。そこで、男の人の声がした。半分くらいは乗客がいたはずだから、もっと他にも、意識のある人はいるのかもしれない。
「エンジンとかやられてないかなあ・・・・ああ、何でこんなの乗っちゃったんだろう」
「ユミちゃん、いる? どこ?」
「ミナコ、ちゃんと俺の横にいるな?」
「やだっ、あたしのかばんどこっ?」
つられてか、あちこちで声が上がる。あたしも、友達や家族が一緒に乗ってれば、まだ心強かったかな。
・・お母さんたち、どうしてるだろ。今頃は会社と、夕ご飯の支度かな。お姉ちゃんは・・・バイト中かなあ。みんな、今あたしが事故に遭ってるって、知ってるんだろうか。臨時ニュースでも入って、心配してるかもしれない。それとも、何も知らないでいるか。
帰りたいと、痛切に思った。
「色んなところで声がする。みんなが無事だといいね」
「うん。・・・すぐに帰れるよね。きっと」
最初に話し掛けてきた人の声。こんな状況なのに落ち着いていて、変な話だけど、それに少し安心する。
「なんか、この感じだとバスは壊れてない感じしねー?」
「凄い音したのにね」
あたしの後ろ側から、男の子のものっぽい声がする。声の様子からして、座席の背もたれに手でもおいて話し掛けてるのかな。
「あ、そうだ。あたし、彰。そっちの二人は?」
「俺、俊樹。葉山俊樹。今、このことニュースでやってんのかな?」
「アニメ見てたら突然テロップ流れたりして? あ。あなたは?」
「あたしは・・・・律子。鈴木、律子。でも、名前なんて聞いてどうするの?」
「いや、深い意味はないんだけどさ。こうやって話してるのに、名前知らないのもどうかなって思って。ただの思いつき」
「学級会のノリだな。ま、嫌いじゃないけど」
今度は隣から。こんなにあたしの周り、人座ってたかな。それとも、落石の衝撃でバスが動いたときに転がってきたのか、会話につられて近くにきたのか。
「あ。俺は瑞樹。こっちは妹の深雪」
「こっちとか言われてもわかんねーよ」
「ああ、悪い悪い。ほら、深雪、自分で言え」
背中か肩でも叩いたのだろう、空気が動いた感じがした。少し待ったけど、声は上がらなかった。瑞樹が、悪いな、引っ込み思案なんだ、と、困ったように言った。
それからしばらく、雑談をした。何も出来ることがなくて、ただ喋ってるだけ。その間に色々とわかって、例えば俊樹君は今小学六年生でサッカーにはまってて中学に入ったら絶対サッカー部に入るんだとか、瑞樹さんは高三だけど推薦が決まったから今はバイトに明け暮れてるんだとか、美雪ちゃんは小学三年生で、手芸が得意で瑞樹さんにやたらとかわいがられてるんだとか。あたしも、今高一で五つ上の姉がいるとかフォークソング部にいるとか、話していた。
「・・・まだかな」
話が途切れたときに、俊樹がポツリと呟いた。それが誰もの内心を語っているようで、気まずい沈黙が降りた。慌てて、俊樹が言葉をつなぐ。
「おっせーよな、警察か自衛隊か知らないけど、ゼーキンもらってんだから、こういうときくらい、ちゃっちゃとしてほしいよなっ」
「おおっ、わかったようなこと言うな、お前」
「まあな」
――今、何時だろう。
ボタンを押せば文字盤が光る時計をはめていたことを思い出して、目をやる。光を見て妙な希望を持たせないように、文字盤を手で覆って。
「・・・嘘・・・・?」
バスに乗った時刻からそう変わっていない。ひどく驚いて、よくよく見ると止まっていた。きっと、事故の衝撃ででも止まったのだろう。――待って。衝撃なんて、あった?
「ケイスケ、何で黙ってるのよ、何か言ってよ! ねえ、ねえってば!」
「運転手さん、何とかならないんですかー? 黙ってないで、何か言ってくださいよー」
「・・・・深雪?」
徐々に混乱を帯びてきている声の中で、瑞樹君の声が聞こえた。そういえばあたし、まだ一度も深雪ちゃんの声を聞いてない。
「深雪、どこ行ったんだ? おい、なあ!」
「・・・いないの?」
「ついさっきまで、確かにここにいたのに・・・深雪?」
「・・・・瑞樹兄ちゃん、誰も動いた感じなんてしなかったぜ・・?」
もし光があれば、青ざめた顔が見られただろうか。何が起きているのか考えたくないのか、あたしはそんなことを考えていた。
「瑞樹、落ち着いて。下手に動き回ると危ないよ?」
「でも・・・深雪が」
「ちゃんといるから。ここじゃないけど、別の場所に」
「お前、知ってるのか!」
相変わらず冷静な彰に、瑞樹がくってかかる。それでも、彰の声の調子は変わらなかった。
「瑞樹も知ってるはずだよ。落ち着いて、ちゃんと思い出したら。俊樹と律子も。ね?」
声に導かれるようにして、あたしは目を閉じていた。目を閉じても開いていても、変わらない暗闇だというのに。でもその行為は、とても自然で、落ち着いた。
そして唐突に、あたしは「思い出して」いた。
事故に遭って無傷なんて、全くの嘘だった。そんなわけなくて、あたしの体は、落ちてきた洞窟の石とバスの車体の下で、つぶれていたのに。
「・・・・帰れないんだ」
「俺、もっとサッカーしたかった」
「あたしだって、まだ生きてたかったな・・・」
「おれ。・・・守れたんだ、深雪のこと。――良かった」
くすりと、彰が笑んだのが判った。座席やバスの感覚はもうなくて、宙に浮いているような、不思議な感じがした。
「階段が見える? それを上って行けばいいよ」
光色の階段が、見えた。あたしたちは、じゃあ、と、それぞれに短く言葉を交わして、それに向かった。
一歩踏み出して、あたしは立ち止まった。振り向くと、光色の階段のおかげで目が慣れて、朧に彰が見えた。――ああ、こんな顔をしてたんだ。
「ねえ、あなたは何者なの?」
「――想像にお任せします、って言うのが一番いいんだろうね」
「そうかもね。ねえ、あのバスに乗ってた人みんな、こうやって案内してるの?」
「ううん。生きてる人もいるし、自力で階段を見つけた人もいるから、みんなじゃないよ。律子たちで最後」
「え? でも、あの声・・・・」
「記憶が、残ってたから。じゃあね、また、何か縁があったら会おう」
「――うん」
そうして、あたしは前だけ見て歩いていった。
そのとき深雪は、病院で意識が戻ったばかりだった。目を開けると知らない大人たちやお母さんとお父さんがいて、びっくりした。それなのに、お兄ちゃんはいなかった。
「深雪!」
お母さんたちの喜ぶ声をぼんやりと聞きながら、深雪はお兄ちゃんを探していた。そうすると、部屋の隅に立つ人と目が合った。多分、深雪と同じくらい。
その人は、目が合うとにっこりと笑った。でも、少しだけ寂しそうだった。
「瑞樹がね、あなたを守れてよかったって言ってたよ」
「お兄ちゃんが?」
「うん」
それだけ言って、その人は部屋を出ていった。誰も、それには気付かないみたいだった。
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