ひまわり

 ――ああ。駄目だったのかしら。

 ひまわりの花畑の中にいる自分に気付いて、そっと溜息をついた。

「だけど。赤ちゃんが一緒にいないってことは、あの子は無事に生まれたのよね」

 場所が違うだけ、とも思ってしまうが、それは敢えて無視する。母子共に死亡、というのでは、私もあの人も辛すぎる。

 それにしても、ここはどこだろう。

 圧倒的なひまわり畑は、日の光を思い切り浴びて、風があるため、厚いほどのそれも心地よかった。

「えーっと、お姉さん」

 ひまわりの中から、ひょいと高校生くらいの男の子が顔をのぞかせた。可愛い子ね、と思ってから、十も離れていないだろうのにと、我ながらおかしく思った。いつの間にか、年をとっていたらしい。

「嬉しいわ、お姉さんなんて。あなたくらいの子から見たら、おばさんじゃないの?」

「いえいえ全然」

 青年はにこりと微笑んで、水筒を持ち上げた。

 コップが渡され、注がれたものは、果物の匂いのする透明な液体だった。

「どうぞ、関東風のミックスジュースです。暑いでしょう?」

「ありがとう。いただきます」

「どういたしまして、美幸さん」

「あら? 名前、言ったかしら」

「いいえ。あ、俺は正義です」

 不思議に思いながらジュースを飲むと、良く冷えていておいしかった。

 改めてお礼を言うと、正義君は、本当に嬉しそうな顔をした。私まで、心が和む。

 あの子が、生まれた子が、男の子でも女の子でも、こんな風に育ってくれるといいな。

「美幸さん?」

「なぁに?」

「俺のこと、不思議に思いません?」

 そう言う本人が不思議そうで、少し笑ってしまう。

「十分に思ってるわ。かっこいい死神もあったものねって、感心してるところ」

「あ、そうきましたか」

「違うの?」

「多分」

 笑いながら、手品のように、今度はホットサンドが出された。思わず、目を見張る。

「喫茶店やってるんです。出張とでも思ってください」

「あら。じゃあ、お代を払わなくちゃね」

 鳥の照り焼きと牛蒡の千切り、レタスの挟まったホットサンド。やっぱりそれも、おいしかった。

 どうしてだろう。

 死んでまで、こんなにも幸せだなんて。一体、何の恩恵を受けてるんだろう。正義君は笑顔で、自分もホットサンドをほおばっている。

 死神――違うということだけれど、きっとただの人ではないのだろう彼も、そうやって物を食べるというのことが、不思議に感じられた。でもそれを言えば、私もそうか。幽霊も飲み食いできるなんて。それともこれは、お焚き上げされたものなのだろうか。

「って、聞いてますか?」

「え。え? 何、ごめんなさい、何か言ってた?」

「いや、だから・・・前。見てください」

「え?」

 言われて、素直に顔を上げると、花畑のひまわりの向こうに、光の筋のようなものが見えた。

「何、あれ」

「見えるんですね?」

 はっきりとあるのに何を、と思って見つめ返すと、正義君は笑って、ジュースのカップを回収した。

「腹ごしらえも済んだことだし、どうぞ行ってください。あれを真っ直ぐにたどって行けばいいんですよ」

「え? あ」

 少し考えて、あれが冥土への道かしらと思いつく。残念ながら、正義君はあの世までの案内はしてくれないようだ。

 それでも思わず、笑みがこぼれた。

「ありがとう。とってもおいしかったわ」

「何よりの褒め言葉です」

 にこりと微笑む正義君に頭を下げると、筋をたどって歩きはじめた。

 夏の日差しが、心地よかった。



「美幸!」

 すっと開いた視界に多いかぶさるようにして、夫の、熊に似た顔があった。目が、泣き出しそうに潤んでいる。

「美幸、やったな。子供も無事だぞ」

 夫の後ろに見えるのは白い壁で、少しして、病院だと気付く。

 どうして。私は・・・。

「何かほしい物はあるか? お腹、すいてないか?」

「ありがとう、あなた」

 そう言えば、あの子は一言も、私が死んだとも、光の筋の先があの世だとも、言わなかった。

 鮮明に、ジュースとホットサンドの味を思い出しながら、生きていて嬉しいと、喜びがこみ上げてきた。一度は覚悟をしたけれど、でも。

 無事に生まれた子供は、あの男の子のように、育ってくれるだろうか。 

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