「たまちゃんたまちゃん、墓穴を掘るって言葉、知ってる?」
無言の環に、有利は闇で見えないと判っていながらもにっこりと笑いかけた。
「どツボにはまるって言葉、知ってる?」
やはり見えないものの、気配でそれと判る環の険しい視線を受けながら、有利は笑顔を崩さなかった。
「ねえ、ちゃんと聞いてる?」
「聞いてるよっ!」
夜の学校に、少女の声が響き渡った。
仁木有利と白羽環は、生まれる以前から縁があった。何しろ、二人の母親が姉妹の上、通りを挟んだお向かいさんなのだ。それで同じ学年となると、何か狙ったのではないかという気すらしてくる。
いかにも「女の子」然とした外見にかわいらしい声の有利に対して、環は喋っていても男に間違えられることもたまにある。
何かと正反対の二人だが、本質的には似ているのか、もはやただの腐れ縁なのか、幼稚園から始めて現在の高校に至るまで、ずっと同じ所に通っている。行動を共にする機械も多かった。
そして今回、夜の学校にいるのは有利の陰謀――もとい、「お願い事」に端を発する。 始まりは、「やだ、化学のノート忘れてきちゃった。宿題があるのに」という有利の一言。終わりは、環の「怖いわけないだろ!」という、見事な買い言葉だった。
「そう言えば、この間佑子が放課後に男の人を見たんだって。先生かなと思ってさようならーって声かけたら、振り向いて、なんと! そこには顔がなかったんだって」
「あー、はいはい。で、蕎麦屋に掛け込んだらそこの親父さんも顔がなかったんだろ?」
お座なりに返す環。有利はやや不満げだが、それに応えるつもりはない。
大体、完全に人のいない深夜の学校で延々と怪談を聞かされる身にもなって欲しい。これで、もう二桁はいっただろう。よくもそんなにネタがあるものだ。
「ちょっと環ちゃん、真面目に聞いてよ」
「有利の話なんか真面目に聞いてたら、一生家に帰れない気がする」
「あら、それだけ面白いということかしら?」
にっこりと。
絶対に笑顔だこいつは、と環は確信する。笑顔は有利の特技といってもいい。その笑顔が曲者なのだ。この笑顔に騙されて、痛い目に逢った人を何人も知っている。
「どうでもいいからしばらく黙っててくれ」
それからしばらく、有利は本当に口を閉じていた。
そうすると、遠くからかすかにしか聞こえない車やなんかの音や自分たちの足音が静かな校内に響き、無人の校内にいることを痛いほど実感させられた。
夜と昼、人がいるかいないかでこんなに変わるものなのか。昼の無人、あるいは夜に大勢人がいるのであれば、ここまでの薄気味悪さはないのだろうが。
思わずわけもなく振り向きたい衝動に駆られるが、有利の目があるのでどうにかこらえる。それに、こういうのはやってしまうときりがない。
「…ごめん、やっぱり何か喋ってて」
情けなくも白旗を揚げたのは、まだ二階の渡り廊下、四階端の教室までは半分ほどもあるところだった。
ちなみに、校門は乗り越えたが、校舎の鍵は有利が開けた。いつでも泥棒に転職できそうな腕前だ。
こんな特技と性格を兼ね備えた親友を持ったことを嘆くべきか、自分の乗せられやすい性格を悔やむべきか。迷うところだ。
「有利?」
返事のない幼馴染に懐中電灯を向けると、思案顔が一瞬にして笑顔に変わった。厭な予感がした。
「あのね、環ちゃん。言いにくいんだけど、警報装置外すの忘れてたみたい」
「何?」
「うっかりしちゃってた。ごめんね?」
「……有利の馬鹿やろーっ」
「あら、わたし野郎じゃないわよ」
「そういう問題じゃないだろ!」
軽すぎる調子で有利が謝ると、期せずして二人は同時に走り出していた。
どのくらいで警備会社から人が来るのか、本当に来るのかは知らないが、来るとしたら呑気に話をしていた分だけ、余裕はない。
しかしここで昇降口ではなく、教室に向かって走り出したのが二人の二人たる由縁だった。手ぶらで帰ったのでは、意味がないのである。
「間に合うかしら?」
「間に合わせるしかないだろ!」
「そうね。いざとなったら警備員殴り飛ばしても良いからね?」
「オマエ・・・人に何を期待してる・・・」
喋りながらも、全力疾走を続ける二人であった。
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