夜道

 夜道には気をつけれなければならない。それは、いつの時代も共通した認識であった。闇が人工灯に駆逐され掛けているかのような現代でさえ、どこで誰に襲われるか判ったものではない。昔はそこに物の怪の類も加わり、夜道は恐るべきモノであっただろう。

 今でも、片田舎には「何か」が出てきそうな闇の塊が残っている。ここも、そんな原始的な闇と恐れが、微かにではあるが残っているようなところだった。

 一面に広がる田の間に沿って畦道がはしり、その中に栗の少ない栗ご飯のように民家が立っている。昼間であれば圧倒するかのように咲き乱れているのが見られる彼岸花は、田からモグラなどを遠ざけるための手段であった。今は、広い間隔で建てられたために逆に寂しさを煽る街灯に、些か不気味に浮き上がっている。

 多少の星は見られるが、天空に月は無い。今夜は、新月であった。

 どこかぼんやりとした光りの下を、一人の少年が歩いていた。灯りも持たず、何故か白い狩衣を身に纏っている。年の頃は十余といったところだろうか。 黄がかった焦茶の長い髪を、細紐で無造作に束ねている。

「随分と賑やかだねえ」

 風が吹いて稲穂がさざめくと、少年は楽しそうに言った。その眼は、彼岸花に向いている。

「やっぱり、夜は淋しくなるのかな? 仲間は沢山居ても、お互いにわからないんじゃあねえ」

 くすくすと笑って、手近な彼岸花――死人花に手を触れる。剃刀花とも呼ばれるそれは、だが柔らかな手触りだった。

「ああ、貴方は恋人に裏切られたんだ? どうして自殺したのに、そんなに恨みが残るかなあ? それがなくならない限り、ずっとこのままだよ?」

 一層笑みを深め、乱暴に花から手を離す。小さく、悲鳴が聞こえたようだった。

 不意に、向こう側から二人の男がやって来た。共に長身で、少年と同じ黄がかった焦茶色の髪だが、こちらは忍び装束のような格好だ。少年の前まで来ると、主君にするように片膝をつく。

「準備できたんだ?」

「はい」

「じゃあ、後は連れて行くだけだね?」

「はい」

 揃った返事に、少年が軽く頷く。そうして、特に彼岸花にも男たちにも気を払うでもなく、近くの昔ながらの民家に歩を進める。

 その家は静まり返っていた。否、そこだけではなく、辺り一帯が静まり返っている。そろそろ日付の変わる時刻であり、この辺りでは寝静まっているのが当然であった。

「全く、兄様も手の込んだことをさせる」

 家の前で呟き、一瞬だけ年相応の表情を見せた。だがそれはすぐに掻き消え、得体の知れない微笑を浮かべた。誰に断るでもなく家の中に入ると、無言のまま男たちに先導され、迷うことなく二階の一室に辿り着く。そこは、この家の長女の部屋であった。

「おいで。僕と一緒に来るんだ。いいね?」

 耳元で静かに言うと、少女は夢見るような表情で起きあがった。少年の伸ばした手を軽く掴み、そのままに手を引かれていく。四人は、静かに家を後にした。

 外は、少しばかり冷たい風が吹いていた。だが、薄着の少女も少年たちも、それを気にする様子もない。立ち止まったのは、別の理由だった。

「何か用かな、お嬢さん?」

 少女から手を離し、男たちにそのままでいるよう無言で伝え、道の真中に立ちはだかる女の子を興味深そうに眺める。やはり顔には、笑みが貼りついたままだった。

「お姉ちゃんを連れて行くな」

「この人の妹?」

 頷く女の子は、少年よりも幼いようだった。とすると、この姉妹は十ほども年が離れているのだろうか。

「お姉ちゃん、狐のところに行っちゃ駄目だよ」 

「あれ、どうして判ったの? これのせいかなあ?」

 少年は、自分の黄がかった焦茶――狐色の髪を引っ張った。同意を求めるかのように、二人の男を振り返る。

「それとも、元々判る人なのかなあ?」

 妖を見分けられる人は、そう多くはないが、いる。少年は、少し困ったような笑顔で首を傾げ、短く考え込んだ。

「今日は引き上げようか」

 やはり静かに待機している男たちを見て、笑む。

「厭だなあ、心配しなくて良いよ。兄様が何か言って来たら、全部僕が引き受けるから。今回は、この子に免じて帰ろう」

 女の子が、安堵の表情を見せる。緊張していたのだろう、泣きそうにも見えた。

 少年は、気付かれるはずのなかった術に気付いた女の子を、面白そうに見ている。この子さえいなければ、無事に少女を「花嫁」として兄の元へ連れて行けたはずなのだが、その妨害に対しての苛立ちや戸惑いは一切見られない。

 少女をそこに残したまま、少年たちが歩き出す。女の子は、それを睨むように見つめている。少年が、女の子の前で立ち止まる。虚勢を張りながらも怯む女の子に目線を合わせて、少年は言った。

「今日は帰るけど、今度があればきっと兄様が来るよ。お姉さんを守りたいなら、頑張るんだよ」

 女の子は、頷いた。少年が、くすくすと笑う。

「君の名前は?」  

「司」

「司ちゃん。また、会おうね」

 そう言って、初めて、少年が本当の笑顔を見せた。

「ついでだから、良い事を教えてあげよう。今日みたいな月の無い夜に白い曼殊沙華を見つけたら、願い事を言うと良い。あかい彼岸花は人の妄執がこもってるだけだから、何もしてくれないけどね」

「マンジュシャゲって?」

「彼岸花のことだよ」

 呆然としたまま、司は三人を見送った。

 少年たちが完全に去ると、周囲が暗くなった。その時になってようやく、司は街灯だけにしては明るすぎた事に気付いた。狐火だったのだろうと、祖父母の昔話を聞いていた司は思った。

 しばらくして、司は姉の手を引いて鍵のかかった玄関を叩いているところを両親に見つけられた。姉は何も覚えておらず、司の言った事は信じてもらえなかった。それでも、しばらくは狐が出たという話が飛び交っていた。

 その日から、司の耳には彼岸花にこもる声が届くようになってしまった。風の強い日などに、怨嗟の声が聞こえるのだ。だが、それだけだ。

 司がこの時の姉と同じ年になっても、この近辺で行方不明者の出る事は無かった。それが白い彼岸花にお願いをしたからかは、司には判らなかった。

 あの狐には、まだ会っていない。



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