つづらの中身

「舌切り雀のつづらの中って、何が入ってたのかしら」

「はぁ?」

 例によって壱の家での勉強中。家主が席を立ち、一人問題集に取り組んでいた夏季は、不意にそう言った。バイト帰りに立ち寄った哲也が、不信そうに夏季を見る。

 読みかけの本は、小泉八雲の『怪談』だった。

「だって、大きいのと小さいの選ばせて、その上家に帰るまで開けるな、でしょ? 小さいのを選んだおじいさんは財宝を手に入れて、欲張りなおばあさんが選んだ大きいほうからはお化けが出てくる。でもそれって、家まで待てずに約束を破ったからでしょ」

 善良だから小さい方を選んだっていうけど、善良でも大きいほうを選んだかもしれないじゃない。何にも考えないで。おばあさんだって、欲張りだからって大きい方を選んだとは限らない。てことは、どっちも中身は同じだったんじゃない?

 完全に問題集から目を離し、夏季はそう続けた。

「じゃあ、財宝と妖怪が同じだっていうのか?」

 話に興味を覚えた哲也が文庫本を閉じると、夏季は広げたままの問題集に肘を乗せて、頷いた。

 外は、もう日が暮れている。今日は、哲也はバイト、夏季は体育祭の準備と、壱のところに勉強に来たのは、夕食時を過ぎてからだった。実のところ、哲也は帰りに夏季一人だと危ないからと壱に呼び出されたのだが、夏季がそのことに気づいた様子はなかった。

「そう、気にならない? それは、言い付けさえ守れば財宝になって、破るとお化けになるのよ。だからここで大切なのは、つづらの大きさなんかじゃなくて、約束ってことになるのよ」

「昔話はそういうの多いね。神様なんかも、ちゃんと決まりごとを守れば恩恵をくれるけど、破ると酷い目に遭わせるし」

「いっちゃん。いつから聞いてたの?」

「全部聞いてたよ。夏季ちゃんの声、良く通るから。ところで、休憩しよう。スイカ切ったよ」




「青ひげの花嫁だって、浦島太郎だって、約束を破ったから酷い目に遭ってるのよね。殺されるほど重い約束だったかとか、わざわざ煽るようなことを言ったとかあるけど、その意図を訊きもしないで、約束したのは自分なわけでしょ。浦島太郎がどう思ったかは知らないけど、少なくとも青ひげの花嫁は、約束破ってその上逆に殺すなんて、酷い奴なのよね」

「夏季だったら、大人しく殺されてたっていうのか?」

「まさか。絶対反撃したわよ。でもその前に、とことん話を聞いたわ。納得できない約束なんてできないもん。どうしても理由を話さなくても、真剣だったら守るって言ったかもしれない。じゃなかったら、守れない、破るかもしれないって言うわよ」

 スイカの汁で汚れた手を拭きながら、夏季はきっぱりと言い切った。その口調に、向かい合った男二人は、彼女ならやるかもしれない、と半ば呆れながら思った。

 納得のいかないことを受け流せない夏季は、今までに先生を始め、多くの人間に煙たがられている。

「で、何で舌切り雀のつづらからそこに行くんだ」

「ちょっとね。思っちゃったのよ、今の時期になって。こんなに必死に勉強して、本当にあたしはこれがしたいのかなって。もういい、医者になんてなりたくない、って言い出しちゃいそうで。だから自分に言い聞かせてるの。約束破ると酷いことになるわよ、って。つづら開けたらお化けが出るんだって」 一気に言って、夏季は麦茶の入ったグラスを傾けた。まるで飲み屋の一気飲みかのようで、哲也と壱が目線で苦笑する。

 新学期が始まり、すぐに、最後の大行事の体育祭の準備が始まる。体育祭は、新学期が始まって三週間もしないうちにくる。その後は、細々とした遊びの予定や息抜きは入っても、このような行事はない。

 追い立てられているようで、焦っているのか。

 哲也は、去年の自分を思い出した。自分はいつも通りのつもりだったが、徐々に変わる周囲の空気に焦りを感じる。何もしていないことが、悪いような気にもなった。

「今日は、もうこれで終わりにしようか」

「ううん。あたし、何回も考えたもん。やっぱり、医大に行く。医者になりたい。でも、浪人して家に負担をかけるのは嫌」

「うん、頑張りたいのはわかるよ。でも、今の時期から気を張り詰めてたら、大変だよ。ちょっとくらいの無理は必要でも、無理のし過ぎはよくない」

 夏季をなだめるように、しかしきっぱりと言う。

 それでも幾分不満そうな夏季の頭に手を置いて、哲也は苦笑した。目線で、壱に感謝の意を伝える。去年も特に何もせず、そのままの学力でいける大学に行った哲也では、いまいち言葉に重みがない。

 受験すらしていない壱だが、それも一つの選択だったことを、二人は知っている。

「ほら夏季、帰るぞ。荷物まとめろ。じゃあ、邪魔したな」

「いや、またいつでも。ああ、そうだ。夏季ちゃん、約束って誰としてたの?」

 壱を上目遣いに見て、溜息をつく。無理やりにでも、二人は休養期間を作らせるようだ。

「自分との約束。一番破りやすいから、守りたいのよ。あ、体育祭、見に来てね。後輩にいっちゃん連れて行くって約束しちゃったのよ。てっちゃんも、柔道部の子達がてぐすね引いて待ってるわよ」

 約束だからね。

 そう言い残して、夏季は勉強道具を取りに行った。何か、「やられた」と思う二人だった。果たして夏季のつづらは、財宝になるのかお化けになるの。



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