「高弘、有利どこか知らないか?」
寝起きの悪い高弘は、一度呼ばれたくらいでは眠りの園から出てくることは無かった。環も、十数年の付き合いでその事は心得ている。無遠慮に布団をはぐと、乱雑に高弘の体を揺さぶった。
「起きろ―。休みの日だからって寝こけてんじゃないぞ、おらっ」
・・・母親のような事を言っている。因みに、現時刻は二時を少し越えた頃。部活を終えて帰ってきた身としては、八つ当りの一つもしたくなるというもの。
やがて、人の悪い笑みを浮かべて一旦部屋を後にした環は、次に現れた時には幾つものアイスノンなどを手にしていた。
それを無言で、高弘の上に置いて行く。置くごとにうめきはするのだが、起きそうで起きない。
「ちっ、駄目か」
今度は、あくまで自然に口と鼻をふさぐ。それでも、数十秒はもった。
「殺す気か!」
「まさか」
起きて更に数十秒。ようやく状況を把握した高弘の言葉に、環が真面目なかおで応える。
「八つ当りで死なれちゃ困る」
高弘は絶句して、目の前に立つ幼なじみを見上げた。しみじみと哀しくなる。いつもいつも、環は姉と共に、もしくは別々に不幸を運んでくるのだ。
「いや、そんな事より、有利の居場所知らないか? あいつ、あたしのノート持ったままなんだよ。部屋見たけど見当たらないし」
「そんな事」扱いされた高弘は、深深と溜息をついたのだった。
高弘と姉の有利は、環の従兄妹に当る。そして現在、この二人の姉弟の両親は、趣味と仕事を兼ねて海外の未開地にいるはずだ。
そんな事情で、今この家には二人の高校生しかいない。因みに、隣は環の家だ。
一階で、電話が鳴った。
「鳴ってるよ」
「いいよ。留守電に切り替わるから」
「そ? で、有利の居場所は?」
「知らない」
「そうか」
すっかり布団を冷やしてしまった冷却具を環に押し付けると、高弘は窓を開けた。どこか薄っぺらい色をした空が広がっている。
「高弘」
部屋から一歩出た体勢で、環が振りかえっている。男のような髪型と格好で、擦れ違ったくらいでは女と気付かないかもしれない。そこにあるのは、何の打算もない瞳だった。
「何か食べるもの作ろうか?」
――これだから、いくら酷い目に遭っても嫌いになれないのである。
三人は、完全オートロックのマンションの前にいた。高弘の家から徒歩でも三十分弱というところだろうか。
ここにいる理由は、今から四十分ほど前に遡る。
『もしもし、高弘? あのね、ちょっと拉致されちゃったから迎えに来てくれない? あ。警察には電話しなくていいからね』
遅い昼食を食べ終えたばかりの高弘は、思わず環と顔を見合わせた。紛れも無く、有利本人の声、調子だ。しかも、ナンバーディスプレイ機能の為に電話番号がはっきりと表示されている。
「・・・いたずら?」
「有利だしなあ・・・」
どちらも有り得る。馬鹿げたいたずらでも、拉致された先から悠々と電話をかけることも、同じくらいありそうだから怖い。
「とりあえず、あいつの手帳見てみよう。知り合いのとこいるかもしれないし」
「うわっ」
言いながら駆け出そうとした環が、足を滑らせて派手にこける。そのまま高弘の上に倒れ込んだのだから、たまったものではない。思いきり、クッション代わりである。
「・・・・何やってるんだ?」
「・・・よお」
電話は玄関を入ってすぐのところにあり、二人は玄関すぐのところで折り重なって倒れている。玄関を空けた良信は、二人を冷静に見つめていた。
良信は、高弘の同級生だ。今日は、高弘と約束があったのだが。
「とり込み中なら、また来るけどどうする?」
「変に気を回すな。それより、環を起こしてやってくれよ、立てない」
「ああ、白羽先輩なのか。大丈夫ですか?」
「うう・・・いたい・・・って、ごめん、高弘!」
目を回していたのか、良信に軽く揺すられてようやく高弘の上から飛び退く。良信に気付いて短く挨拶を交わすと、床に伸びたままの高弘を引き上げる。あざにはなるかもしれないが、特にひどい外傷は無いようだ。
「ごめん、ほんと悪かった! 大丈夫?」
「まあ、なんとか。環は?」
「ああ、多分大丈夫」
「それで、何やってたんですか、こんなところで?」
それから良信に事情を説明し、成り行きでテープを聞かせ、番号も見せた。その時に良信が見覚えがあると言い、今に至る。
良信は、人間じゃないと言われるまでに記憶力がいい。その記憶を手繰り寄せた結果がこれだ。あの電話番号は、高郷一真という良信の同級生らしい。なんでも、中学生の頃からマンションで一人暮しをしていたという。
「それでさあ、どうやって入るの? オートロックなんだろ、ここ」
「俺は、本当に有利が拉致られてるのかってのの方が疑問なんだけど」
「あ。そういやそうだな」
確認もせずに来たのだ。もっとも、本当にここに監禁でもされているというのなら、直に本人に訊くわけにもいかない。自然と、二人の視線が良信に集まる。
良信は、わざとらしく溜息をついて見せた。そして、おむろにインタホンに向かう。
「――もしもし、百合さん? 俺ですよ、狭山良信です。――ええ、色々ありまして。――また今度、会いに行きますよ。――はい。それでは」
扉が開く。高弘と環は、呆気にとられてそれを見ていた。
「あら。意外に早かったわね、二人とも。ごめんね、良信君。迷惑かけちゃって」
笑顔で言う。あまりにも女の子然とした容姿によく合った話し方だった。
三人が、それぞれの表情でそれを見ている。その有利の隣に立つ高郷は、無表情だった。だがそれは、いつもの事らしい。
「有利? これはどういう事なのか説明して欲しいんだけど?」
「やだ、環ちゃん電話聞かなかったの?」
「それは聞いた」
「それなら、わかるでしょ?」
やっぱりいたずらだったのかと、三人が同時に思う。
「あのね。拉致されたのよ、本当に。でも、なかなか楽しい人なのよ」
三人の視線が交錯する。揃って、その瞳に呆れの色を見つけたのだった。
SEO | [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送 | ||