嘘を吐く

 目の前には、贈られた毒酒と絹。

 自分で毒を呷るか、傍人に絹で首を絞めさせるか。選べと差し出されたそれは、場合によっては、羽交い絞めにして酒盃を傾けられたり、押さえつけられて首を絞められたりする。それでも――刑死させられるよりはよほどの、慈悲なのだという。

「ふむ。本当に、あのお方は私を殺したいと見えますね」

 呟いたら、睨まれた。やれやれ、そのくらい広い心で見逃して欲しいものだ。

 心の狭い衛士は、二人いる。とりあえず、一人は太っちょ、もう一人は細っちょと呼んでおこう。この二人は、賜り物の二品を届ける使者で、私の死を見届ける見届け人でもある。

「まあ、そう急ぐ必要もないでしょう? 君たちに見張られて、邸に一人で隔離されて。どうやったら、逃げ出せるって言うんです」

 太っちょも細っちょも、無言で凄む。あまり迫力がない、とは、指摘してやった方がいいのだろうか。何か、人の良さが滲み出てしまっているのだが。

 肩をすくめて、杯を取った。良い酒だろうに、味わえないのが心底勿体無い。

 そうして杯を傾け、一口飲んで見せる。そして、首を傾げる。

「これ、何の悪戯です? 胃薬の味がしますが。実は全部嘘ですか?」

「何?」

「飲んでみます? っと、それはできませんね、さすがに」

 険しい二対の視線に串刺しにされながら、一気に酒を呷る。空になった杯を示して二人を見遣ると、明らかな狼狽が見て取れた。

 二人は、小声でなにやらやり取りをしたかと思うと、細っちょが一瞥を残して出て行った。

「大人しくしていろ」

 こくりと頷いて、しかし、にこやかに太っちょに詰め寄った。唯一覚えた必殺技、力任せに掌底で喉を突く。崩折れたところを、胸だか腹だかを思い切り蹴りつける。うっかり内臓が破裂していなければいいが。

 太っちょが意識を手放したのを確信すると、口に手を突っ込んで小袋を取り出した。中では、飲んだはずの毒酒が揺れている。いくら水を通さない布といっても、こぼれてしまえばどうなるか。

「はー。これが、一世一代の猿芝居ってやつですかね。うん? 大芝居?」

「…暢気だなぁ、あんた」

 むしろそちらが暢気な声にぎょっとして視線を向けると、私よりも一回り、下手をしたら二周りほどは年下だろう二十歳に届くかどうかといった青年が立っていた。私の視線に気付くと、にっと笑って、太っちょの首筋に手刀を叩き込む。

 太っちょが、泡を吹いて白目を剥いた。

「迷子なら、彼が意識を戻さないうちに今来た道を引き返した方がいいですよ」

「ちょっ、恩人に対してそれはないんじゃない?! ほら、こいつ今倒したの俺だし! あんたのあれ、止め刺せてなかったから!」

「殺してませんよね?」

「生きてっけど、いやそこ、心配するとこ?」

「その人が死を免れて大喜びをする必要はありませんが、死んで喜ぶ理由もありませんから。それなら、生きていた方が気分は良いでしょう? それで、君は何者です?」

 深々と、青年は溜息をついた。

「そんなことより、とっとと逃げようとは思わないのか、あんたは? そのために、その袋を仕込んで毒酒を飲み干して見せて、嘘をついて片割れを追い払ったんだろう?」

「ああ、そうですね。では、とっとと逃げ出すことにしましょう。君、露払いをお願いしますね」

「…なんでそーなんの?」

「おや、そのために助けてくれたのでしょう? 僕一人では、この邸からすら出られるか怪しい。まさか、見捨てて行くのですか?」

 青年は、呆然とした後に大笑いした。そうして、私の腕を掴む。

「わかった。そう言うなら、行ってやる。一宿一飯の恩ってやつだな」

「おや。君は、うちの食客でしたか。昨日来られました?」

「んにゃ、三日くらい前」

「一宿じゃないじゃないですか」

「言葉の綾ってやつだ、細かいこと気にすんなよ」

 そう言ってからからと笑った青年は、あけっぴろげな態度のまま、お荷物であるはずの私をつれて見事に逃げおおせてしまった。

 これは、彼を褒めればいいのやら周囲を守り固めていた兵士たちを杜撰だと罵ればいいのやら。

「ありがとうございます。助かりました」

「いやいや、三宿三飯の恩を返せてほっとしたよ。あんた、これからどーすんの?」

「君こそ。私を逃がしたのは君だと、即座にばれると思いますよ。損な役を買って出たものです」

「売った奴が言うか」

 適当に言いつくろって街の囲いを出て、私は青年と並んで歩いていた。幸い、まだ私に関する通達は出ていなかったらしい。やはり、杜撰なのだろうか。

「私は、どこかに庵でも作って優雅に暮らしますよ。この国の行く末なんて、もう知りません。国庫の浪費でも権力をかさに着た搾取でも、何でも好きにすればいいんです」

「あんたさあ…捻くれてるなあ」

 嘆息した青年に、ちらりと視線を向ける。

 私の邸には、義侠と称した流れ者が何人も来ては去って行っていた。囲い込んで雇おうとは思わなかったが、彼らが酒の肴に話す物事の中には、耳を傾けるに十分値するものもあった。だから私は、度々使用人として彼らに紛れていたりもした。

「君ほどではないつもりですよ。氷王閣下」

「…あれ? いつばれた?」

「さあ、いつでしょうね」

「って、知ってたのにその態度? もっとこう、かしこまるもんじゃねーの?」

 そう言いながら、青年――氷王の態度に変化はない。相変わらずあけっぴろげで、目下の地位の者にぞんざいな扱いを受けても動じる気配がない。

 これで皇帝と親子だというのだから、人間、わからないものだ。

「言ったでしょう、知ったことではありません。もう、うんざりです。しかし、行方を眩ますのがお得意の氷王に、まさか央楼でお目にかかれるとは思いませんでしたね」

「うんざり、ねえ? そんな風には聞こえなかったぜ、まだまだ未練たっぷりって感じで。世捨て人なんて冗談じゃない。あんたは、仙人にはなれやしない」

「国を動かすのは、ただの人です。そこで生きているのも。私は――」

 数年前、央楼は炎に包まれた。もっともそれはごく一部で、叛乱が起こったにしては被害は小さかった。だが、皆無というわけではない。

 私の家族は、その小さな被害に消えていった。

「それを守りたいと思うなら、やっぱりあんたは、隠遁すべきじゃない。俺のところに来い」 

「罪人を匿うおつもりですか?」 

「あんたが、何の罪を犯したって?」 

 まだ若い王は、そう言って笑い飛ばした。

「…嘘つきばかりですねえ」 

 思わず、苦笑がこぼれ落ちた。

 嘘つきばかりのこの国で、でも私も、もう少し嘘にまみれて生きていくのだろう。さてこれからどうしようかと考えながら、そのことだけには確信を持っていた。



*ブラウザのバックでお戻りください*

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送