昔日のこと

 厭な奴と一緒になった、と、腹の中で己の不運を呪った。

 ――どうにも、こいつは苦手だ。

「これはこれは、未来の宰相候補殿。貴君がこんなところで食事をするとは珍しい」

「そちらこそ。左氏の弟君は、皇宮にはいらっしゃるはずなのに、一向にお会いできないと皇帝陛下がお悩みでしたのに」

 表面だけは丁寧な言葉に、心の中でだけありったけの悪態をぶつける。

 できるならば、このまま背を向けて去りたいところだ。しかし、既に料理を頼んでしまった手前、そうもできない。染みついた貧乏性が、このときほど恨めしいことはなかった。

 ――身分がばれて、身包み剥がされちまえ!

「ああ、兄ちゃんたち知り合いか? だったら相席で十分だな、奥の、ほれ、そこ。空いてるから行ってくれ」

「えっ、ちょっ・・・」

「待ってくれ、主人・・・」

 しかし、待ってはくれなかった。

 場所は、皇都の下層民向けの売春宿も兼ねたおんぼろ酒屋。それぞれ、相手に寒々しい笑顔を向けながら、実は内心で同じことを考えていた二人は、陰険漫才に足を掬われることとなった。

 ちなみに、目が合っても無視しておけば良かったんだと、気付いたのは翌日の朝のことだった。 

 淋烈[リンレツ]と春望[シュンボウ]、良く似ていながら、もしかすると良く似ているからこそ、犬猿の仲の二人の、若き日の苦い思い出であった。



「・・・」

 騒々しい酒屋の片隅で、そこだけが沈黙に支配されていた。何やら重い空気に、近くの客も、そう簡単にはちょっかいを出そうとはしない。

 淋烈は、現帝の何人か目の弟に当たる。今の皇帝には兄弟が多く、逆に子供はたった一人しかいないというのは、良く知られた話だった。なんと、皇太子とほぼ同齢の弟さえもいる。そろそろ王に封じられる年齢だが、今のところは、母親が左氏の家の出だったために「左氏の皇弟」「左弟君」と呼ばれることが多い。

 春望は、父親が宰相だった。そうは言っても今は亡く、望が自ら、か細い親戚のつてで官職に就いて今の皇帝の目にとまるまでは、貧しい暮らしをしていた。今では皇太子の学友として知られ、皇宮内でも、まだまだ弱くはあるがそれなりの勢力を持っている。 

 二人とも、まだ十代の半ばをどうにか越えたところだった。

「よーう、兄ちゃんたち。何しけた面してんだ? んん?」

 突然声をかけてきた大男を、烈と望は、全く同時に睨みつけた。

 薄汚れた格好をした、立つと天井に頭のつきそうな大男は、そんな反応に噴き出してから、一層険しくなった二人の表情に、慌ててそれを押し込めた。

「そんな顔して飯を食っちゃあ、失礼だろうがよ? 飯にも、作った奴にもよ」

 にやにやと笑って、無造作に卓に置かれた酒に手を伸ばしながら、そっと小声を忍ばせた。

「塀の中の奴等だな? 悪いことは言わねえ、早いとこ、ここを出ろ」

 ぎょっとして、二人は男を見た。塀の中とは、貴族や身分のある場所を指すこともある。先ほどのやりとりは、小声で他人に聞き取れたとは思わなかったのに。

 男は、笑い顔の向こうに真剣な瞳を見せていた。懐から出した杯で、酒を呷る。

「いいか? 飲むにしても食うにしても、豪快にやれよ。――耳敏い奴は多いし、格好も中途半端だ」

 烈と望は、慎重に目線を合わせて、軽く頷いた。

「今度からそうするよ。じゃあな、おじさん」

「おう」

 ほとんど空になっていた皿を残して、二人は連れ立って立ち上がった。そうして店を出てすぐに遭遇した柄の悪い男たちに、烈は目を細めた。望が口の端を上げる。どちらも、薄笑いとも取れる表情だった。



「なんだよお前、ぼろぼろじゃねーか。みっともねー」

「そっちもそう変わらないだろう」

「・・・まあな」

 にぎやかな通りの側を流れる川縁で、二人は満身創痍で座り込んでいた。

 店を出たところで待ち受けていた男たちには、とりあえず反撃をしてきた。同じくらいか、それ以上の怪我を負わせた――といいたいところだが、逃れるために攻撃したのが手一杯というところだろうか。

 いくら武術を学んでいても、暴力沙汰が日常の男たちに、日常に腕力の必要のない少年たちが勝てるわけもない。大きな怪我もなく、向こうにも手傷を負わせただけでも上出来だ。  

「ところで、左弟君。今思い出した」

「何をだよ?」

「あの男。昔、父の部下だった男だ。諜報が得意だった」

 ぽかんと、望を見て、烈は呻いた。

「つまり、聞きつけたんじゃなくって最初から知ってたってことか?」

「だろうな。しかし、忠告には変わりない」

「あーあ」

 烈は、面白くなさそうに仰向けに倒れ込んで、そして唐突に起き上がった。目が据わっている。

「決めた。俺は、今から呑みに行く。お前どうする?」

「・・・付き合おう」

 そうして二人は、今度は表通りの酒屋で閉門に近い刻限まで酒を飲み、翌日には二日酔いの頭を抱えることとなった。そして、結論は同じで。

 ――やっぱり、あいつに関わるとろくなことがない!

 まだ若い二人の、八つ当たりだった。 
 



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