「一体どうなってんだ」
昨日まで暮らしていた見世物小屋の一団から「買われた」のが、つい昨日のことだ。買い手からぼったくったらしい団長は、笑顔で陸を追い出した。
元々成り行きで始まった暮らしだが、こんな風に終るとは思ってもいなかった。
仲間が、売られて姿を消すのは、怪我や病気が元で死んだりするのと同じくらいに、日常茶飯事だ。しかし、自身を買う物好きがいるとは、考えなかった。
考えもしなかったことが現実として起こり、遅れて目的を考えると、いい未来は望めそうもなく、げんなりとした。
それなのに、まともな部屋に通されて、食事や着替えの衣類も用意された。これでは、まるで客のようだ。
ぼそりと、呟きを落とす。
「・・・逃げるか」
「それで、どこに行くんですか?」
「・・・!」
いつの間に現れたのか、黒い長髪に――紅い瞳をした男が立っていた。思わず、瞳を凝視する。
「挨拶が遅れてすみません。僕が、君を引き取った明戒です。はじめまして、流陸君」
凝視したままの陸を咎めるでもなく、にこやかに一礼する。幾らか親しみの籠もった口調とはいえ、丁寧な態度だ。
「何か、得意な事はありますか?」
そう言っても反応のない陸に、青年は苦笑した。
「そんなに珍しいですか、妖人が」
そこでようやく、まともに戒を見る。まだ、二十歳そこそこといったところか。陸と、そう変わらないだろう。嫌味なほどに整った顔を、思い切り睨み付ける。
しかし、相手は笑顔を崩さない。
「店の方で働いて欲しいんですよ。これから、一緒に暮らす事になりますから」
やんわりとした、だが動かし難い「決定事項」に、陸は絶句した。
「若旦那」
「ああ。はい、すぐに行きます。陸君」
控えめな声に軽く応じて、家の主は、陸の名を呼んだ。
「僕としては残念ですが、ここを逃げるというのなら、それも良いでしょう。僕は、ここに君を閉じ込めるために引き取ったのではありませんから」
呆然としている陸ににこりと笑いかけて、青年は立ち上がった。貴族を演じる役者のように、優美な動作だった。
瞬時、火がついた。
「――施しか?」
「そう思いたければ」
「こんなくだらないことをして、楽しいか」
すうと、紅い眼が細められた。ただそれだけの仕草に、陸は思わず身を引いてしまい、そのことに舌打ちした。
「己の身の自由がくだらないとは、随分と見下げたものですね。気骨があるものと思っていたのは、とんだ見当外れだったようです」
冷たい言葉に、今度は、凍り付く。
「そ――んなの・・・知らないから言えることだ」
絞り出した言葉は、恥ずかしいほどに強張っていて、陸は、形容の仕方を知らない言葉に、苛立った。
青年は、くすりと笑った。それに、温かみはない。
「そうですね。僕と君は、まだ出会ったばかりです。それで知らないことを責め立てられても、理不尽なのは君の方でしょう」
「そんなことッ、そんなこと言ってんじゃねえッ! 俺はッ」
立派な家でぬくぬくと育って、妖人だからと虐げられることも、冷たい視線も知らないで。それで何がわかると、そう言いたかった。
言わなかったのは、青年の顔から笑みが消えたからだった。
「己だけを特別だと思うと、そこから進むことはできませんよ」
それに何かを感じて、躊躇ったのは一瞬。その一瞬に、青年は、元の感情の読み取れない穏和な笑顔に戻っていた。
「悩むのは良いことですが、ここで仕事をすれば食い分は稼げますし、お奨めしますよ。好きに選んで構いませんが」
そう言って部屋を出て、出たところで、思い出したように振り返る。
「何を選ぶにしても、今日のところは、泊まって行ってください。夕飯は一緒に摂りましょう」
一人、残されて。
陸は、呆然と立ち尽くした。
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