「宗貴妃の三毛猫が行方不明だそうです。特徴は・・・」
「漢婦人の虎猫が溝の奥に・・・」
「王貴人が白猫をお探しです。全身真っ白で足だけが・・・」
「鄭丁氏の雉猫が病気のようで・・・」
「どうして僕のところに持ち込んでくるんですかッ!」・・・と、そう叫べたらどんなにいいだろう。少年は、溜息をどうにか呑み込んで、探し猫の特徴と事情を細かく訊くと、使いの者を下がらせた。
柳静[リュウセイ]が難関を突破して、珍しい十代半ばでの任官を果たした年。後宮は、いつにない猫ブームだった・・・。
「お疲れですかな」
「いえ・・・そちらもお忙しいようで」
手伝いもしない、一応の同僚に言葉を返して、断りを入れてから席を立った。このときに、しっかり先ほど書き留めた猫の特徴を持って立つ辺りが、どうしようもなく真面目だ。
そもそも、猫がいなくなっただの閉じ込められただの病気になっただのという話は、この部署全てに持ち込まれた相談事であって、静一人で受け持つことではないはずだ。
それを、何かと理由をつけて逃げを打つから、静一人が押し付けられている現状となっているのだ。今では、使いの者もはじめから静を探して話を持ってくる。
「なんだって僕が・・・」
これが、もう少し時代が違えば、猫探しは皆が我先に飛びつき、新入りの静に回ってくるのはさして重要でもない書類の整理や清書となっていたことだろう。それほどに、後宮の姫君が皇帝に及ぼす影響力は大きい。
しかし今では、皇帝が後宮にこもる数は減り、政治に口を挟めるとしたら皇后くらいのものだという事実は周知のものとなっている。見込みの無いおべっかを使うのは厭なのだろう。
かくして、静は一人、広い皇宮内を数匹の猫を探して駆け回ることとなった。
「この猫を王貴人の元へお届けしてくれ」
通りがかった小者に白猫を託して、その姿を見送ってから溜息をついた。ひっかかれて、服の袖はぼろぼろになっている。少し、血も滲んでいるようだ。
「あとは・・・三毛猫と虎猫か・・・」
とりあえず、行方の知れない三毛猫よりも、所在の知れている溝にはまった猫を先にしようと、使いの者の言っていた溝に向かおうとした。
「おや、静上掾。そんな格好でどうした?」
「・・・炎王。それとも、左将軍とお呼びした方がよろしいですか?」
「で、何してるんだ?」
声の主を疎ましげに振り返るが、相手は動じない。
母の名を取って左氏の皇弟、あるいは封じられた王の名で呼ばれることの多い、淋烈[リンレツ]だった。
静は、まだ皇宮に出入りできるようになって日が浅いが、その短い間にもこの男に関してが、いい記憶は全くと言って良いほどにない。むしろ、厭な記憶の方がある。例えば、裏路地での酒宴に放り出されたり。
「猫探しです。将軍は、何か?」
「へーっ、猫探しなあ。よし、俺も付き合おう。ついでに、甥っ子も連れて来ようか。ちょっと待ってな」
「いえ・・・・」
言っても無駄な言葉というものは、確かにあるらしい。身を翻した烈の後姿を見送って、静は呆然と立ち尽くした。
追いかけられて溝の奥まで入り込んでしまった虎猫は、すっぽりと溝に詰まって、動くこともできずにぎゃあぎゃあと凄い声を立てて鳴いていた。騒ぎに手を出した何人かは、身動きできないまま夢中で暴れる猫に、散々に引っかかれている。
「行け、気をつけろ! あっ、そこ、右! 左、爪が危ないぞ! 右だ右! こらー、手際が悪いぞー!」
「・・・うるさい」
「よっし、掴んで引っ張り上げろー!」
烈と戻、それに多数の観客に見られながらの猫救出劇の、主役は静だった。
烈の言った「甥っ子」が、昌でなく戻であったことには安心したが、だからといってわざわざ呼んできたことに感謝する気にはなれない。その上、この無責任な野次。
「あーっ、失敗した―っ! 不器用―!」
「そう言うならあなたがやってください!」
「えー? やだよ俺、生き物嫌いだもん。甥子殿は?」
「断る」
「だとよ」
けろりと、何の罪の意識もなさそうに静を見る。
ただでさえ、猫の鳴き声で人々の注意を集めているというのに、そこに烈の大声の野次が加わり、少しでも手の空いた者は、わざわざ様子を見に駆けつけてくる始末。
その上、猫は出てこない。
「餌を置いてみたらどうですか?」
「いっそ、痩せるまで何日か待ってみては?」
「溝を壊すなら手伝いますよ!」
出てくる案はありがたいが、使えそうにもない。
「自力で出られるくらいなら引っ張っても出る。痩せさせると漢婦人に怒られる。っ最後の人、自分がやりたいだけだろう! その後はどうするつもりだ?!」
居合わせたのが、下位の者と官位を気にしない烈と戻で良かったと言うべきだろう。いいかげんうんざりとした静は、冷静さをどこかに置いて来てしまっていた。
そこに、のんびりと声がかけられた。
「あのー」
「今度は何だ!」
「いやあ、そこで猫を見つけたものですから。猫は柳上掾が集めていると聞いて・・・今は、お邪魔ですかな?」
「あ・・・瞬様。失礼しました。少し、気が立っていたようで・・・」
戻の養父、舜采[シュンサイ]に、静は慌てて非礼を詫びた。もっとも、袖がぼろぼろで血が滲み、その上ほこりだらけの格好では、どうにも様にならなかった。
采は、穏やかな笑顔ででっぷりとした三毛猫を抱えて立っていた。その傍らに、戻が移動している。
「いいえ、私のことは気にせずに。それもお仕事ですか?」
「はあ・・・まあ・・・」
「僭越ながら、少しお手伝いしましょう。この子を預かっていてもらえませんか」
「・・・はい」
三毛猫を戻に渡し、集まっていた人たちが自然に空けた隙間を通って、采は静の傍らに立った。溝の中の虎猫を覗き込む。
「これはまた、ずいぶんとしっかり挟まって。しかし、このくらいであればなんとか・・・・・・ほら、抜けましたよ」
采が軽く地面から何かを取るような素振りをしたかと思うと、一瞬、溝の幅が広がった。その間に素早く猫を持ち上げた。猫は、突然押さえつけるものがなくなって驚いたのか、目を丸くして大人しくしている。
「どうも、ありがとうございます」
「いえいえ。・・・あなたには、戻もお世話になっているようですから」
小さく囁かれた言葉に、はっと顔を上げる。育てていた「我が子」が皇子と判り、取り上げられ、敬語さえも使うようになっても、そこには変わらない親心があるように思えた。
静が何かを言うより先に、采は虎猫を渡して背を向けてしまった。
二人はいい親子だったのだろうと思うと、何か無性に、それを呆気なく握りつぶしてしまった皇帝に使えている自分が、惨めに思えた。
「やー、役立たずだったなあ、上掾」
「そうですね。将軍並には、役立たずだったと思います」
「言うようになったなあ」
苦笑いする烈を置いて、虎猫と、戻から受け取った三毛猫を抱えて、後宮の入り口に向かう静だった。後宮内に男は入れないが、入り口には常に小者がいるから、託せば良い。
とりあえず、今日はこのくらいですむだろう。
ちなみに、こんな猫騒動は、その後約半年ほど続くこととなった・・・。
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