そのとき一人でなかったのは、幸と言おうか、不幸と言おうか。
間違いなく本人は、「不幸」と答えるだろうが、もしも一人であれば、長時間思考停止は必須だったと思われる。
「・・隠し子?」
「あり得なくはないですね・・・」
「そなの?」
「・・・・・母親になるような物好きがいたのか」
数秒経過後。
「って待てっっ! いねーよ隠し子なんてっ」
「信憑性ゼロ」
すかさず幸に断言され、陸はがっくりと首を垂れた。そんな陸の服のすそを、藍色の髪に瑠璃色の瞳という、陸によく似た少年が握り締めていた。驚くほどに、似ている。ただ、年齢は十以上も離れているだろう。まだ、五歳程度に見える。
少年は、不思議そうに首を傾げて、うなだれる陸を見ている。
「相手は誰ですか? ぜひ紹介してくださいよ」
「あ。あたしも見てみたいわ、それ」
「だーから、違うってのに・・・・」
頭痛がするような気がしてしゃがみこんで頭を抱えるとと、少年がその背を軽くたたく。
「『大丈夫だよ、お父さん』って感じよねっ」
「いえ、『お父さん、強くなってね』でしょう」
幸と戒が大笑いをして、戻までが笑っているのを見て、さらに絶望が深くなる。空がただ一人、不思議そうに見ているが、何の救いにもならない。それどころか、このことのきっかけは空が運んできたのだし、とどめを刺したのも空だった。
「・・・陸、お父さんなの?」
少し、泣きたくなった。
* * *
いつものように野宿の準備を始めた。戒と陸が食事の準備、幸が寝床の確保、戻が焚き火を作る。その間、空は周囲の散策に出向く。
慣れた手順で料理の味を見る陸は、まだ完成しないうちに空の声が聞こえて、意外に思ったものだった。不思議なくらいに決まって、料理が出来上がってから戻ってくるというのに。
そんなのどかな感想は、空の声にあっけなく吹き消された。
「陸が縮んじゃったよ!」
「・・・・・は?」
皆が驚いて目をやると、小型版の陸を連れた空が小走りに近付いて来るのが見えた。だが空は、戒たちと同様に驚いて立ち尽くす陸を見ると、
「あれ?」と言って、急停止した。
「・・・・陸が二人いる?」
空が首を傾げると、つないでいた手が緩んだのか、少年が陸に駆け寄った。
そして、幸の「隠し子」発言につながるのだ。
* * *
「おまえさー、どっから来たんだよ?」
返事が返らないと知りながらも、陸はつい、隣で寝ている少年に声をかけた。まだ眠っていない少年は、やはり何も言わず、じいっと陸を見つめ返した。
「あー、いや、いいから、とにかく寝ろ。な?」
自分に似た人間など、これが同じ位の年齢か上回っているようなら、問答無用で殴り飛ばしていたかもしれない。例え、相手に全く非がなかったとしても、だ。その理由は、気持ち悪い、気味が悪い、の言葉に集約される。
大体、人には三人は似た人間がいるというが、絶対数の少ない妖人でそんなにいるとは考えにくい。いや、それ以前にやはり、何か気味が悪い。
そんなことを考えてから、陸はため息をついた。
「・・・弟とかって、ありかな・・・・」
自分を捨てた両親が今どこで何をしているのかわからない分だけ、可能性が捨てきれない。もしそうだとすれば・・・・・・・。
「ねえ、陸。起きてる?」
「んあぁ?」
声に振り返ってみると、幸が手招きをしていた。一瞬迷って、陸は隣で眠る少年を起こさないよう気遣いながら、そちらに向かった。
「家族連れはあっち、って追い出したの、誰だっけ?」
「やだ、まだそんなこと気にしてたの? 器のちっさい男じゃ、奥さんにも嫌われるわよ?」
だから。いねーっての。
そういう気も失せて、陸は、黙って木の幹にしがみついた。これだから、ノリのいい奴は怖い。かといって、戻のように冗談だか本気だか判らないような返され方をするのも、生真面目に反応される空のようなのも厭だが。
「で? ホントのトコどうなのよ?」
「えー、俺の隠し子ってことで決着ついたんじゃなかったのー?」
「・・・あんたも変わったわよね、性格」
「・・・一番俺が、気にしてんだよ」
あの面子の中で、そういつまでも一匹狼が気取っていられるはずがない。あの戻でさえ、随分とふざけた性格をしているのだ。
だが悔しいことに、この変化は嫌いではない。
「お母さんが迎えに来てくれるといいわね。そうしたら、涙の再会でしょ?」
「・・どこまで引っ張んだよ、そのネタ」
深深とため息をつく。
「まあ、他人か、妖か・・・弟かだろうって思ってるけど」
「弟?」
うん、と肯いて、陸は静かに寝息を立てる少年を見た。
幸は、迷っていた。戻に話を聞いて、あの少年の正体の見当はついている。だが、幾分冷静とはいえ、弟かもしれないと考えてしまう陸にそれを言うのは、ためらわれた。
家族の行方が知れないのは幸も同じだが、家族や身内といった感覚に違いがあるため、どう扱っていいのかが判らない。
「なあ・・・・明日に保留、てのにしといてくれねー?」
* * *
翌朝目覚めると、少年の姿が消えていた。
いくら眠っていても近くで動きがあれば目覚めるくらいの察知能力はある陸は、当惑していた。慌てて布団として被っていた布を持ち上げても、誰もいない。
否――大きな貝がひとつ。
「陸君、ご飯ができましたよ。今日は息子さんが来ているから寝坊も見過ごしましたが、これからは・・・どうかしましたか?」
「これ」
陸が、掌に載せた貝を持ち上げる。
ああ、と戒は頷いて、疑問符を携えたままの陸を他の三人が待つところまで連れて行った。
「戻さん」
陸の掌を持ち上げて見せると、戻も肯いた。
「やはり、蛤[ ハマグリ ]か」
「ハマグリ?」
陸と空が、揃って声を出す。
「ああ。空、近くに泉があると言っていたな。元は海水に棲むはずだが、それは淡水に棲む変り種みたいだな」
「いや、それだけじゃさっぱりわかんねーんだけど」
「幻を見せるだけで、さして害はない。ただ時々、それにつられて事故死したりする奴がいるがな。個体を映して動くとは、知らなかったな」
幻。じゃあ、弟じゃなかったんだ。寂しいような安心したような、複雑な気持ちになる。
蛤とは言っても、食べるものとは別物で、これも妖の一種なのだろう。
戻は、掌に乗せた貝をぼうっと見る陸を、冷静に見た。
「ちなみに、放っておくと干からびるぞ」
「空! 泉ってどこだ?!」
「あっち」
空の指差した方を見て、陸は更に息巻く。
「頼む、そこまで連れて行ってくれっ!」
「・・・ご飯食べてからでいい?」
「いいよっ、俺一人で行ってくるっ」
走り去る陸を見て、空を除く一同は苦笑した。意図は判らないとはいえ、何も騙された形になる相手を助けるのに必死にならなくても。
「水なら、ここにもあるんですけどねえ」
「水使って料理してるっていうのに、気づかないなんてね」
「騙されやすそうですよね、陸君って」
「その手で蛤も誑かしたのかも知れないな。その子供があれか」
さすがに、これには苦笑するしかない。
「ねえ、ご飯は?」
「ああ、そうでしたね。食べましょうか」
その日、陸が一行の元に戻ってきたのは、日が高々と南中するころだった。
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