彼がその少女に出会ったのは、ほんの偶然だった。
人から「契約の獣」と呼ばれる、いわゆる魔物である彼は、そのとき閑を持て余していた。誰とも契約を結んでいない状態で、だが一仕事終えたばかりなので、しばらくは契約を結ぶ必要もなかった。つまり、仕事を選ぶ余裕も在り、したい仕事はなかったのだ。
彼の種族にとって、契約は絶対であり、それから得られるのは、相応な分の生命。正確には、生命エネルギーだ。人のように食物をとるよりも手軽で長持ちするので、今では魔物の食事方法はそれが主流になっていた。
とにかく彼は、暇を持て余していた。
でなければ、いびつに開かれた魔方陣に応えはしなかっただろう。増して、出た先で膝を抱えてうずくまっている少女など、気にもとめなかったはずだ。
――暇だったのだ。
「お前か?」
「・・・誰?」
黒い髪と瞳の少女は、突如現れた彼をびっくりしたように見つめた。
「お前が喚んだんだろ、この魔方陣」
そう言って足元を示したが、魔方陣らしきものはかかれていなかった。彼の世界から見たときは、いびつだが確かにあったにも関わらず、だ。だが、確実にこの世界と彼の世界を繋ぐ扉は開かれている。位置も、判る。
「あたし、魔方陣のかき方なんて習ったことない」
それっきり、少女は黙り込んでしまった。
繰り返すが、彼は暇だった。でなければ、さっさと自分の世界に帰ってしまっていただろう。魔方陣に不思議はあっても、気にも留めずに。
だが彼は、暇つぶしを探していた。
「おい、何か悩みでもあるのか? おれが解決してやろうか?」
「いらない」
即座に却下して、だが、少女は彼を見た。
「・・・やっぱり、お願いする」
「よし」
じゃ、契約を・・・。そう言った彼の前に、小さな手が差し出された。
「こっちから手を出さなきゃ、出られないんでしょ。ハナシ、先に聞いて。イヤなら断わってもいいから」
正直、驚いた。未契約の彼らを外に出すことも、契約をこちらから断わっていいと言ったことも。
契約を交わすのは双方の同意が必要なことだから、建前としてはどちらから断わっていいことになる。だが、人の中にはそう思っておらず、寿命を与えるのだから自分が上位者だと勘違いするものや力で押さえつけて無理矢理契約しようとする者が多い。
そうでなくても、未契約の彼らを出すことは、よほどの馬鹿でなければやらないことだった。まあ、たまにいたが。
「べつに、あたしを殺すのはどうでもいい。けど、多分それをしたら、その魔方陣からは帰れなくなるとおもうよ」
「やっぱりお前がかいたのか」
「ちがう」
「じゃあ・・・」
「勝手にかかれるだけ。あたしがやってるんじゃない」
「はあ?」
己の力を制御できず、知らぬ間にかいていたと知るのは、もっと後のことだった。
とにかく少女は、掴もうとしない彼の手を自分から握ると、さっきまで座っていた川辺まで引っ張っていき、その隣に座ったのだった。
もう、成長しないんだって。持ってるチカラが大きすぎて、こうなったって。めずらしくて、すごいことなんだってさ。・・・今日、妹に年抜かれちゃった。年はあたしのほうが上だけど、体は、妹の方が一つ上。これから、どんどんそのさは広がってく。
少女はそこまで言って、石を一つ、川に投げ込んだ。
こういう風になったヒトは、人の何倍も生きて、ある日突然死ぬんだって。その直前まで何ともないのに、本当に突然。妹やその子供や、孫が死ぬのを見て、いきなり終るんだ、あたしの人生って。
彼は、突っ立ってその話を聞いていた。実際、そういった人間がいたということは聞いたことがあった。
「それで? 俺に何をしろって?」
そこで、少女ははじめて表情を変えた。無自覚なのだろうが、泣きそうに、笑っていた。
「見たくないから。知ってる人がいなくなるの。寿命なんてどれだけでも、全部でもあげるから。あたしを殺してほしい」
彼は、そのとき暇を持て余していた。でなければ、そんな酔狂なことを言い出すはずがなかった。多分。
「俺は死なないけど? 俺の世界のやつらは、相当長生きだぞ。多分、お前よりな」
「・・・・そっか。そんな世界も、あるんだ・・・」
淋しげに笑って、少女は立ち上がった。そして、帰らなきゃ、と言って背を向ける。それを見送る彼に、少女は振り向いた。
「また会えるんだよね、えーっと・・・」
「カイラス。カイラス・トレア。・・・これが全部じゃないけど。特別だからな、他のやつには言うなよ」
名前を知られるのは時として致命的なことだと、知らないわけではなかった。例えそれが、名の全てではなくても、相応に。
それを知ってか知らずか、少女は、今度こそ笑顔になった。
「うん。ありがとう、カイ」
そして。
「ねえ。もし、本当に生きるのに飽きたら。そのときは殺してくれる?」
「――ああ」
「約束だよ?」
少女が帰って行くと、彼は魔方陣に歩み寄った。いびつなそれに触れて、元の世界に帰って行った。
彼は、その約束が守られないことを知っている。
誰が、例え自分以外の誰もがその約束が果たされることを望んでも、守られることはないと知っている。少女自身が望んでも、絶対に。
――だって、約束は破るためにするものだろう?
少女が恐れたものが、今はわかるような気がしていた。
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