誰を呼び出そうとしたわけではなかった。それどころか、魔法陣を開くつもりでもなかった。
ただ、勝手に描き出され発動したそれは、どうあっても、シュムの作り出したものだった。
「うーわー」
げんなりとしたように、呟きがこぼれ落ちる。
シュムは特殊な体質をしている。そして、その余録かのようにもう一つ困った能力もある。それが、今目の前で開いている魔法陣だ。
勝手に生成されたそれはシュムの魔力を使ったものだが、意思には関係がない。
本来、そんなものは在り得ない。
術者の意思なく描き出され、発動する魔法陣など在り得ない。が、シュムにとっては生まれて以来の付き合いで、ないと言われてもこうして目の前にあるのだから否定のしようもない。
勝手に開いて勝手に魔力と体力を奪って行く魔法陣を恨めしげに眺め、溜息を落とした。開いてしまったものは仕方がない。あとは――危険なものに発見されないよう願うのみだ。
シュム自身の意思で開いたものなら、特定の「誰か」やそこまで行かずとも相手の強さをある程度絞ることも出来るのだが、勝手に開いてしまうと、下手をするとあちらでも一目置かれているような強大なものや手に負えない凶悪なものさえ通してしまいかねない。
知り合いや無害なものが気付くか、誰に気付かれることもなく閉じることができれば上々だ。カイのように親しくなれれば嬉しいが、いつも望むのは高望みとも知っている。
シュムは陣が開ききるのを待って、早々に閉じるよう働きかけた、が、遅かった。
「ああもう」
体力を持っていかれ、座り込みたいのを堪え、背筋を伸ばす。一応、こちらから相手に触れなければ陣から出られないことにはなっているが、相手がこちらの力を上回れば、その限りではない。
普通はそれを防止するために魔法陣には何重にも安全策が織り込まれているのだが、シュムのものはあまりに規格外過ぎてあてにならない。
最悪、山を降りて師匠たちに助けを求めよう。逃げ込むことさえ出来れば、きっと手を貸してくれる。そして師匠は、シュムよりもずっと頭が回り口も達者だ。
ただそうなると、一人立ちのための試験は失敗ということになるが仕方がない。魔法陣の開く時期になっていると気付かなかったことを悔やむしかなく、もしかすると師匠は知っていて今に設定したのかもしれない。
一人立ちをすれば、この体質での厄介事にもシュム一人で対応するしかないのだから。
「こんにちは」
にっこりと、シュムは笑みを形作る。
蒼い燐光を放つ魔法陣の中に現れたのは、下手をすればシュムの倍ほども背丈のある男だった。厳しい顔つきで、凍りついたような視線を向ける。若くも年寄りにも見えるが、そもそも彼らの外見は人の物差しではあてにならない。
「――お前か」
「はい?」
妙に深みのある声は、シュムのことは知らないまでも何かを推測しているかのような言葉を吐いたまま、続かない。シュムは、笑みを残したまま首を傾げた。
無言で見詰め合う。
ふと、シュムは、男の眼差しに見覚えがあるような気がした。記憶を手繰り、辿り着く。
シュムが師匠らに弟子入りしてしばらく経った頃に、カイと師匠らが顔を合わせたときに似ている。つまりは、保護者の視線。
ただ、あの時も今も、問題があれば斬って捨てるという空気があり、目の前の男の強さが判るだけに、迂闊に誰か共通の知り合いがいますかとも訊けない。
だから、男が口を開いたときには、内容がどうであれわずかに安堵した。
「何を思って用もなく扉を開く」
「何も思ってません」
判り辛いほどにかすかに動いた眉に、シュムは大きな身振りで肩を竦めて見せた。
「好きでやってるわけじゃないんです、今だって。そういう体質らしくって、こっちも困ってるんです。そちらに何か迷惑をかけてるんでしょうか?」
「惑う者も出る」
「何にですか?」
「人は狡賢い。力では及ばないからこそ、口先で我々を騙そうと計る」
「そういう人もいますよ。でも、だからってあたしもそう見られるのは心外だな。一人がそうだからって、全部が全部そうと思われるのは迷惑です」
話していても、いっそ感心するほどに感情が読み辛いが、ないわけではないと判る。
きちんとこちらの言葉に耳を傾ける様子を見て、幾分開き直った。あるいは、信頼したというべきか。シュムの魔法陣の防壁など、下手をすれば触れるだけで打ち破れるだろうに、その素振りも見せない。
だから、訊いてみる気になった。
「それであなたは、誰の保護者であたしなんかの様子を見てみようと思ったんですか?」
瞬間、男が完全に動きを止めた。
一拍にも満たない間にそれは立ち消えたが、それまで以上の威圧感の加わった視線にも、心なし、動揺が読み取れるような気がする。それだけで、シュムは少し楽しくなる。
「違いました?」
「――我々を恐れないのか」
「怖いですよ」
笑みを残しながら、シュムはあっさりと言い放つ。無言で促され、肩をすくめた。
「きっと全く違う文化や価値観の中で育ってて、それぞれに力の大小はあっても、基本的にはあたしくらい簡単に捻り潰せるだろう相手なんだから。知らなきゃ、怖いのは当たり前だし」
「それなら、何故――そうやって笑っている。私がこの陣から出られないと思っているのか?」
「まさか」
「何故――」
「知れば、怖くないかもしれない。勿論誰かについて全てを知るなんてできないし、知った結果、おそろしいものだって判るかもしれない。でも、だからってただ怯えてるのは癪だし、勿体無い。あたしは、出会えたことで世界を広げてもらったから。はじめから否定することだけはしたくない」
じっと、何かを思い出そうとするかのように見つめられ、シュムは首を傾げたくなった。
しかし一体誰の知り合いだろうと、今までに親しくなった異界の住人らを思い浮かべるが、少なくとも交わしてきた会話の中で話題になったことはないような気がする。
心当たりを探しながら、シュムは、男を見つめ返した。男の視線は、不思議なくらいに真剣だ。
「出会いというのは」
「思い詰めてたときに声かけてくれたのが、そっちで暮らす人だったんだ。あ、人じゃないのか。まあとにかく、そうやって出会えた友達がいるから、何回殺されかけても冷たくされても、でもいい人もいるしねーって」
「…恐れないのか」
「いやだから、怖いよ? でもそれ以上に面白いしね」
世間話のように笑い飛ばしてから、しまった地が丸出しだ、とシュムは心の片隅で呟いた。折角被った猫が、あっさりと剥げ落ちている。
男はそんなことを気にする様子もなく、考え込むように視線を落とした。
ふと、その不器用さに思いつく。気のせいかと思うようなそれが、しかし、考えれば考えるほどに当たっているように思えてしまう。
訊いてみようとしたところで、先を越された。
「保護者と言ったか」
「え? ああ。師匠たちが、あなたみたいな雰囲気を出してたことがあったから。家族とか弟子とかがあたしにたぶらかされてるんじゃないかなーって来たのかと」
「…我々がそんな感情を持つとでも?」
「ないってこともないでしょ。好きな人や特別な人はやっぱりいるんじゃないかと思うけど」
懐かしいものを見るような眼に遭遇した。シュムなど足元にも及ばないだろう力の持ち主とわかるのに、もう、怖くは思えなかった。
ふ、と、男がかすかに笑ったような気がする。
「名は」
「シュム」
「シュム――必要があれば呼べ。気が向けば、助けてやる」
「それなら、どう呼べばいい?」
契約を交わすつもりはない。だが、呼ぶにも名は必要だ。確実に相手を縛る真名ではなくとも、つながりにはなる。
そう考えながら、やっぱりと、少し前の思いつきに自信を持つ。
「――ディルと呼んだ奴がいる」
「あたしがその名前で呼んで、いいの?」
「何故だ」
「気付いてないだろうけど、今、眼が優しくなった。大切な人だったんじゃないの? その同じ名前を、あたしが呼んでいいの?」
虚を突かれたのか、押し黙る。そこに動揺を読み取って、シュムは微笑した。
「別の名前を教えて。その名前で呼ぶ度にがっかりされたら厭だし」
黙り込んだのが図星を突いたのかどうかは解らないが、ややあって、男は別の呼び名を口にした。シュムは、にこりと笑って手を差し出した。
「よろしく、ディー。ところで、オレンジの髪でちょっと釣り眼の不器用な男の人知らない? あたしはカイって呼んでるんだけど」
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