「それ」は、全てを奪い去っていく。
 その人が存在した証を、全て。その人の持ち物は全て、場所を移されて。家族から、友人から、知人から、記憶を奪い去っていく。
 そうして、一人ぼっちになった人を、連れ去ってしまう。そうするしか、お前に道はないのだと、告げて。
 だから「それ」は、誰も知らない。
 誰も知らないのに、名前だけは知られていた。――「それ」の名は、「喰らい人」といった。


 村を、酷く静かに雪が覆い尽くしていく。雪が、村を圧していく。それなのに、空にはぽっかりと満月が、かかっていた。
 しかし人々は、眠りの底にいた。冬の夜には、炉辺で昔語りを聞いて、寝床につく。一度寝てしまえば、朝まで起きる理由もなかった。
 それなのに、たった一人、呆然と雪空の下に立ち尽くす子供がいた。
「あ・・・れ・・・?」
 驚いて寒さに蒼褪めた表情で、少女は自分の家を見た。何故こんなところに、と、身を震わせて扉を開ける。
 確かに、両親の隣で、暖かな寝床についたはずなのに。
 首を傾げながら家に入った少女は、両親を起こさないよう慎重に足を運びながら、寝室に入った。  しかしそこで、凍りつく。
「うそ・・・」
 両親の寝台の隣にあるはずの、自分の寝台がない。慌てて両親の顔を覗き込んだが、それは確かに、自分の父と母だった。
「ねえ・・・ねえ、起きてよ。お母さん、起きて。お父さん。ねえ・・・どうなってるの?」
 泣きそうになりながら両親をゆすり起こすと、二人は、眠たげに目を開き、はっと身を強張らせた。 「だ、誰だ!」
「うちには金目のものなんてないよ!」
 あからさまな警戒に、怯えた表情。月明かりに照らされた両親の反応は、少女を打ちのめすには十分だった。
「う・・・そ・・・でしょ・・・? どうして・・・お母さん、お父さん・・・」
「出て行け! 早く!」
「そんな・・・ねえ、私だよ! リオだよ! ねえ、お母さん!」
「なんだい、知らないよ! 早く出ていきな、このちびネズミめ!」
 少女は、今や言葉もなく、部屋を走り出た。そのまま、道に飛び出る。雪が冷たかった。涙が、流れるそばから凍りつくかのようだった。
「・・・どうして・・・」


 その夜は、村外れにある見張り小屋で寒さを凌いだ。眠れず、ただうとうととするうちに夜が明け、人々が目覚め出すと即座に、少女は家々を回った。
 しかし、待っていたのは完膚無き絶望だけだった。
「おや、どこの子だい?」
「なんだ? 見ない顔だな、どっから来た」
「物乞いなら他あたりな!」
 冷たい視線が、言葉が、こんなにも痛いとは知らなかった。全員が顔見知りの小さな村だけに、痛みは深かった。
 それでも、少女は両親には顔を合わせないようにしていた。泥棒、と叫ばれる。それだけは、耐え切れないと思った。
「なあ、お前」
 声をかけられたのは、もうどうしようもなく、何も考えられずにいたときのことだった。
「お前、リオ・・・だよな?」
「!」
 自分の名前を何年かぶりに呼ばれたような気分で、少女は振り返った。呼びかけたのは、薄汚れて擦り切れた服を身にまとった少年だった。
 見覚えは、ある。一週間ほど前に、村に流れてきた少年だ。今は、山奥の炭焼き小屋で見習として働いていた。
 山を下りてくる日だったんだ、と、少女は麻痺した心で、ぼんやりと考えていた。
「その・・・俺、さっきから見てたんだけど。間違ってたらごめん。誰も・・・お前のこと、覚えてないんだよな?」
「・・・うん」
「ひょっとして、その少し前に、何か持ち物とか、無くなってなかったか?」 
「どうして・・・」
「待て、怖がるな!」
 怯えて、今にも逃げ出しそうな少女の腕を咄嗟に捕らえて、少年は叫んだ。悲鳴を上げかけた少女は、少年の瞳を見て、それを飲み込んだ。
 泣き出しそうな、探し物を見つけたような、切羽詰った狂おしい眼をしていた。
「ここだと・・・目立つから。少し遠いけど、こやまで来てくれないか? ・・・きっと、すぐには納得できないから・・・落ちつける場所の方が、いいと思うんだ・・・」
 そうして、少女と少年は、山小屋を目指すこととなった。


 山小屋の主は、髭を伸ばした大きな男だった。
 煤で汚れた顔には刻み込まれたしわがあったが、よくよく見ると、まだ若いようだった。髭を剃れば、見違えたように若返るのかもしれない。
「シュパーゲルさん、ごめん、ちょっといい?」
「ああ。その子は、ガールフレンドか? ほどほどにな」
「違うよ! 多分・・・・俺と、同じなんだ」
「そうか。・・・それじゃあ、俺は裏で薪を割っているよ」
 少年と男は、親子のようだった。そんな様子に両親を思い出して、少女は、枯れたと思っていた涙が溢れるのを感じた。
「これ飲んであったまっ・・・」
 湯気の立つ飲み物を持って振り返った少年は、静かに涙を流す少女の姿に、動きを止めながら、内心では大いに焦っていた。
 たっぷりと数十秒は置いて、カップを手近な暖炉の煉瓦上に置くと、おそるおそる少女に手を伸ばした。そっと、抱きしめる。
「その・・・親父が、よくこうやってくれたから。こうすると、落ちつくから、その、厭なら・・・離れるから」
 いい、と言う代わりに、少女は少年の服を掴んで、額を胸に押し付けた。少年からは、森の匂いがした。   
 そうして、泣き止むまで少しかかった。
「・・・ありがとう」
 蜂蜜の入った甘い飲み物のカップを抱えて、少女は言った。向かい側に座った少年がどんな表情をしたのかは、ずっとカップの中を見ていたので判らなかった。
 実のところ、少年も少女と同じように、カップを覗き込んでいたのだった。
「いや・・・落ちつけたなら、良かった」 
 一口飲んで、少年は再び口を開いた。
「『喰らい人』って、知ってるか?」
「・・・知ってる」
「俺は、二年くらい前。そいつに喰われかけた。白い・・・女か男か判らない奴が来て、色々言ったけど、そのとき俺、怒ってたから。ついて行かなくて。あちこち転々としながら、ここのおじ・・・シュパーゲルさんに拾ってもらった」
「私も・・・なの・・・?」
「多分、そうじゃないかって・・・思っただけだけど・・・誰も・・・覚えてない、みたいだったから」
 そこで、少年は顔を上げた。まだ俯いている少女を、真っ直ぐな瞳で見る。
「そうだとしたら、きっとそろそろ、あれが来ると思う」
「どう・・・したら・・・」
 少女は震えて、また、泣きそうになった。誰も、『喰らい人』に連れられた人がどうなるのかは知らない。そもそもが、御伽噺と思われているのだから。
 少年は、じっと少女をみつめた。
「わからない。ついていってどうなるのか、誰も知らないから。でもあいつが言ってるのをまともに聞いてたら、ついて行った方が良いんじゃないかと思える。俺は、怒ってて。意地でもついていくもんかって思ってたから、そうしなかったけど。・・・もし、行くなら。俺も一緒に行くよ」
「え・・・」
 突然のことに、少女は顔を上げた。少年と、目が合った。
「これも、何かの縁だから。ここで暮らすなら、シュパーゲルさんに頼んでもいいし、行くなら・・・そのままにしておいたら、なんか、厭だし」
 はにかむようにして、少年は笑った。


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