過程と結果

 札を貼って閉じ込めて、呪文で足止めをして、用意した式剣で、とりあえずは実体のない体を切る。

 舞うようだ、と評されたこともある一連の動作だが、はっきり言って、見えない者を前にしてやるのは、いやなものがある。

「これで、当面の害は取り除かれました。ご夫君も、じきに意識を取り戻されると思います。後は、ここに通じてしまった道を封じるだけですが、根本的な手段を取れないので、札を貼っておきます。くれぐれも、剥がさないようにしてください」

 はいはいと、律儀に返事は返すのだが、半信半疑なのが見て取れる。

 人それぞれ、見ているものも感じるものも違うのだから仕方がないとは思うのだが、それでも、不信を全面に出されると、気分として疲れる。

「一年以内にまた何かあったときは、割引料金で相談に乗りますから」

 用意した祭壇と結界用の札を手早く片付け、残したものはないかと視認する。

 荷物も、封じ残したものもないと確認してようやく、ずっと、抜き身で左手に持っていた式剣を鞘に収め、背に背負う。こういったことは、弟子や仲間がいればやってくれるのだが、いかんせん、一人なのだから仕方がない。

「あとは、病院から連絡が――」

 ありふれた着信音で、受話器が、誰かが電話をかけてきたことを報せる。促すと、三十半ばほどだろう夫人は、細い手を伸ばす。働くことも知らない、金持ちの手だ。

「はい、はい――。では、あの人は――!」

 不安、喜び、興奮。

 それにつられて空を漂う、ろくに形さえ取れていない雑鬼に目を細めて、あがり、と心の内で呟く。

 受話器を置いた夫人の目は、信者のそれのようになっている。必死になって藁をつかんだら、思いがけず大木だったというところだろうか。

 皮肉な考えは皮一枚で押し込めて、嫌味にならない程度の笑顔を向ける。

「それでは、失礼します。何かありましたら、また、声をかけてください」

「ありがとうございました!」

 礼の言葉を受け取って、担いできた荷を背負って、屋敷を後にする。

 東方伶は、道士ということになっている。友人曰く、「拝み屋」「御祓い師」「退魔師」に相当するらしいが、よくは知らない。そう呼ばれるからそうらしい、というだけのことで、本当に道士なのかも知らない。

 伶の父は、様々な呪術を叩き込み、ある日突然に蒸発した。

 母の行方などはじめから知らず、伶に残されたものをいえば、日用品とわずかに過ぎる金銭、それと、わけもわからず仕込まれた呪術とそれに伴う用具のみだった。

 住んでいた掘っ建て小屋同然の家は、実は借り物だったらしく、父がいなくなったと知れて、追い出されてしまった。

 生きる以上、食べなくてはならない。住む場所は適当に確保したが、金はない。金なり食べ物なりを盗むことも考えたが、数度やって、ふと気付いた。

 盗みを覚えてその技術を磨くよりも、仕込まれた呪術で、祓ったり封じ込めたり屠ったりしている方が、追われることなく暮らせる。場合によっては、実入りもいい。

 幸い、父も同じことを生業にしていたため、組合のようなものにも認めてもらえた。伶自身も、父の補佐として、そこに組み込まれていたのだ。

 そんなわけで、伶は道士の看板を揚げて稼ぎはしているが、統計だった知識はなく、ほぼ自己流で、それぞれに対処していくしかなかった。書に学ぼうにも、最近では少しずつ習い始めたが、文字などろくに読めない。札の文字は、絵として丸覚えしている。

 豪邸の居並ぶ地区を抜けると、数十年前に、争うように立ち並んだビル街になる。高い建物に空は遮られ、汚れた路地の隅を、宿無しの子供や大人、鼠や虫が闊歩する。

 いつの間にか暗くなっていた空を見上げて、はあと、溜息をついた。

「生きてんだか死んでんだか」

 今となっては、顔さえも曖昧だ。伶が十一歳の時に姿を消し、既に七年が経つ。その間、便りもないのだから、忘れたところで文句は言われまい。 

 ただ、嫌いではなかった、と思う。わけがわからないなりに、呪術を学ぶのは面白かったし、いつも対等に扱ってくれるのも嬉しかった。会いたいと思わないでもないが、さて、生きているのか。

 それにしても、娘に楽士や俳優、小間使いなどという意味の名をつけるとは変わっている。さかしい、という意でつけたのだとしても、いささか納得のいかない思いがした。

 父が何を考えていたのか、何故姿を消したのか、伶には皆目見当がつかなかった。

「あ、お帰り」

 ビル群の外れに、埋もれるようにして建つ、古ぼけたアパート。その一階の、ヒビの入ったコンクリートの床に座り込んでいた男が、伶に気付いて顔を上げる。無邪気な、日溜まりのような笑顔に、思わず額を押さえる。

「だからここらは治安良くないっていってるのになんでいるんだ頭ついてるか動いてるか? いい加減日本に帰れよお前は――で、そこにいるの何」

「心配されないといけないほど治安の悪いところに、住んでるって言うのか?」

「慣れてるから大丈夫。外国人でぼんやりしてる、お前の方がよほど危険だ」

 言いながらも、部屋の鍵を開けて自分の家に入る。

 部屋の前にいた男が当然のようにその後に続くのは、今や、恒例となってしまっている。腹立たしいことに、数少ない、伶の友人なのだ。

 部屋の中は、質素と言うよりも殺風景だ。物にさしたる執着はなく、また、外出の際には、そのまま戻れなくなってもいいくらいの気持ちで出ている。必然、残される荷物はほとんどない。

 二十歳半ばほどの糸目の青年は、無断で座布団に陣取った。

「何度でも言うけど、引っ越すつもりはないのか?」

「雨風がしのげれば十分だ。文句を言うなら、来るな」

「文句じゃなくて忠告。こんなところに一人だと、色々と危ないだろう。俺の心配よりも、自分のことを心配するべきだ」

「お前の心配なんてしてない」

 嘘つき、と言う目が腹立たしい。

 伶がこの男、立原宏樹と知り合ったのは、仕事の途中でのことだった。大学から仕事を頼まれたときに、そこで助手をしているというこの男が、案内に来たのだった。

 そこから、どうして友人付き合いにまでなったのかは、実のところよく覚えていない。

「あ、これ、お土産。学生の結婚式に呼ばれて、もらった。食べるだろ?」

 折り詰めと思しきつつみを差し出し、勝手にお茶も淹れる。箸を二組出したのは、自分も食べるつもりなのだろう。

「ちょっと待て。その前に、言うべきことがあるだろう?」

「え?」

 考えるように、首を捻る。

 伶は、式剣を引き抜いて、宏樹の背後に向けた。

「これは何だ」

「あ。あー、脅さないでくれないか、ほら、怖がってる。済まない、悪い奴じゃないんだ。・・・と言うか、忘れてた俺もごめん」

 式剣の先に呼びかけ詫びたらしい言葉に、眉を跳ね上げる。

「鬼(幽霊)に会ってのほほんとしてるお前の方が、驚きだ」

「え?」

「・・・本当に、気付いてなかったのか?」

 貧相な男は、頬がこけて目が飛び出ている。服も髪も濡れて貼り付いていて、その上、どこか古臭い。土色にすぎる顔色など、鬼と気付かないとしても、怪しんで逃げるくらいの知恵はないのか、と思ってしまう。

 しかし宏樹は、しげしげと鬼を見て、首を傾げた。

「死んでたんですか?」

「・・・。その訊き方はさすがにどうかと思う」  

 式剣を握ったまま、溜息をつく。

 三十歳程度だろう鬼は、突きつけられたままの剣先と伶を、怯えるように見つめる。それに気付いた宏樹が、剣の腹を掴んでずらしてしまった。

 文句を言うと、咎めるような視線を向ける。

「鬼だとしても、この人は何もしてない」

「よほどの縁でもない限り、鬼の陰気は、近くにあるだけで害を及ぼすものだ。早急に取り除くにこしたことはない」

「やめろよ。縁があるかも知れないだろ?」

「――判った。それなら、どういった経緯でこれを連れてきたのか、きっちり話してくれるだろうな」

 溜息と共に式剣を下ろし、しかし鞘には入れずに横に置く。

「その前に質問、いい?」

「何だ」

「霊感なんてないのに、どうして俺にも見えるんだ?」

「これは、比較的肉体を持っているからな」

 ふうんと、納得したのかしなかったのか、わかったようなわからないような相槌を打つ。

 実のところ、伶には一つの推測がある。しかし、それを認めてしまえば、今までの経験やわずかながらの知識に反していることになる。まず、有り得ないことのはずなのだ。

 それでも否定しきれないのは、それだけこの男が、意外性を突いてくるということで。

「学生の結婚式に呼ばれて、その帰りに会ったんだよ。足にしがみついて離れなくて、とりあえずついてきたいのかと思ってつれてきたんだけど」

「・・・何処で会ったって? どんなところで」

 それのどこが「きっちりと」だとは、突っ込むだけ無駄というもの。その状況は何処をどうとっても変だろう、と言っても、首肯されるだけがオチだ。

 情けないほどに土地勘のない――というよりも、地名も覚えない上に方向音痴の日本人は、首を捻って、『田舎』、と日本語でぽつりと言った。伶が訝しげに見据えると、むうと呻る。

「学生の陳さんの故郷で、汽車で半日ぐらいかかるところで、昨日から泊まりで行ってたんだ。駅に行く途中で、近道かと思ったところをいったら迷いかけて、沼地突っ切る途中でこの人に会った」

「知らない場所で無謀なことするな」

「だって、駅まで遠いんだよ。他は泊まっていくって言うから、俺一人だったし。迷って何か起きても、同行者の心配はしなくていいやと、賭に出て」

「出るな」

 これで、わずかとは言え伶よりも長く生きていて頭がいいというのだから、何かが間違っている。何故こうも、命に関わるところで無謀なのだろう。

「お前は良くても、周りが心配するだろう。必要のないところで危機に陥るな」

「伶も、心配してくれる?」

「したくない。これで判った、水鬼だな、お前」

 睨み付けると、それまでおどおどと伶と宏樹をうかがっていた男は、びくりと体を硬直させた。

 水鬼、と不思議そうに呟く宏樹に、視線も向けずに肯く。握られた式剣の切っ先は、狂いもなく男の首先に突きつけている。

「水死した鬼だ。その場所に縛られて、次の死者が来るまで何処にも行けない。事故が続くところ、というのがあるだろう。ああいうところには、こういう奴がいる」

『自爆霊か』

「何?」

「いや。それなら、違うんじゃないのか? 移動してるじゃないか」

「それを引っ張ってきた、非常識極まる人間が、そこにいる」

「言い方が酷い」

「知るか。――お前、運が悪かったな。常識外れにこんなところまで連れてこられるなんて。命数が尽きたと諦めろ」

 最も、そんなものはとっくに尽きているのだが。

 式剣は、父が作った呪具だ。姿がなくとも、攻撃を加えられる道具。これで首をはねて、符でも貼って焼けばいいだろう。

「待て」

 動きかけた腕が、ぴたりと止まる。

 何故、こうもこの男に弱いのか。ある意味では、伶は、宏樹が苦手だった。

「縛られて、成仏――違う、冥府に行けないだけだろ。無理矢理連れてきたんだから、元のところまで俺が送っていく」

「馬鹿を言うな。水鬼は、ただ縛られてるだけじゃない。次に同じ境遇の奴が来るまで、縛られてるんだ。そのために、こいつらは人を引きずって殺す。気付け、お前も狙われたんだ」

「でも。俺は、無事だ」

「そんな問題じゃない!」

 この感覚の違いが、育った環境故なのか文化なのか、人種の差なのか、伶には判らなかった。同じ言語を話しているはずなのに、酷くもどかしい。

 宏樹は、むうと唇を尖らせた。

「あんなところ、通る物好きは少ない」

「それでも通っただろう」

「じゃあさ、ここで切られるのと、あそこに戻ってひっそり誰も襲わずにいるのと、どっちがいい?」

 絶句する伶と鬼を前に、真面目に訊いている。

 ややあって、鬼は、伶を伺うようにして、後者を選ぶと告げた。



「二度と人前に出てくるなよ」

 先に宏樹を帰し、陰気にも、まだしも耐性があるからと、伶が送っていくと、半ば強引に決めた。もっとも、送ると言っても汽車乗り場までのことだ。

 始発の汽車を待ち、伶は、呟きのように言葉をかけた。

「消えたくないと、選んだのはお前だからな。約束を破ったことがあいつの耳に入るようだったら、覚悟しておけ」

 水鬼は、貧相な顔を上げ、上目遣いに伶を見た。

「殺さないのか」

「死んでるものは殺せないと思うが」

 そういった意味で言ったのではないと判っている。

 しかし伶は、あちら側のものを、恐れることはないが馴れ合うつもりもない。危害を加えるなら取り除く。金になるから対抗する。ただ、それだけのことだ。

 だから伶に、この水鬼を積極的に消す意志はない。

 あからさまに安堵した風な様子に、すうと目を細める。

「今回は見逃すが、あいつに何かやったら、楽に消滅できると思うな」

 冷たく見据えた先で、水鬼は、怯えるように身をすくませた。  



 その日宏樹は、意外な場所で久々に、伶に会うことができた。 

「このところ、いなかったね。仕事だった?」    

「遠出――その前に何故それを知ってる危ないって言ってるだろ」

「そんなに危ないところなら、引っ越すべきだ」

「だから」

「あ、これおいしい」

 湯気の上がる水餃子を箸で摘み上げると、伶は、呆れたように溜息をついた。

 どうせ街で出会ったのだからと、食事に誘ったら応じてくれた。それだけで、嬉しい。

 伶は、束ねた長い髪をさらりと払って、フォーという麺もののようなすいとんのようなものをすすった。一応、真新しいチャイナドレスに汁が飛ばないようには気遣っているようだった。

 深紅に銀の刺繍の入ったチャイナドレスは、文句なしに似合っているのだが、何故そんなものをという疑問の方が先に立つ。知り合って以来、必要最低限以上に身形に構っているのを見たことがない。

「その服は?」

「場所がホテルだったから、正装しろと言われた。急に言うから持ってないと言ったらくれたんだけど、汽車の時間を考えると着替える閑がなかった。とりあえずズボンだけははいたけど」

「気前のいい依頼人だね」

「ああ。毎回、何か色々とくれる。施しが趣味とも思えないんだけどな」

 淡々と、本気で言っているらしい伶を思わず凝視してしまい、宏樹は、ぎくしゃくと視線を逸らした。それは、理由が読めるような気もするのだが。

「依頼人、どんな人?」

「ホテル王の息子だとかなんだとか」

 きっとそれは、善意じゃなくて下心だ。

 そう思ったが、敢えて告げることもしない。薬を盛るといった、あからさまに卑劣な手段に出なければ、大丈夫だろう――多分。

 不意に、伶が宏樹を見た。

「そう言えば、夢、見たか?」

「え。ああ、あの人だろ? 幽霊――鬼の。土地神になったんだって、報告に来た。そっちにも?」

 半年ほど前のことになるが、宏樹は、知らずに、幽霊をともなって伶のところを訪れていたのだ。その幽霊とは、以後に一度ばかり酒を酌み交わしただけだというのに、夢の中でやけに感謝されて驚いてしまった。

 ただの夢だと、そう笑い飛ばせずにいたのは、伶経由で、様々な怪異もあると知ってのことだった。それでも、せめて確認をしたかったのだが、いつ行っても留守で、伶に会えずにいた。

 伶は、簡単に首肯して口の端に笑みを浮かべた。

「何人か、人を殺さずに見送ったら昇格してくれたと言っていたが、実際のところはお前の功績だな。そう、訴えるか?」

「まさか。いいことなんだろう、良かったよ」

 そういうと、呆れたように息を吐く。

 しかし宏樹は、本当にそう思う。むしろそれは、薄い罪悪感が帳消しになったという、自己満足でもある。

 あのとき、水鬼の性質や背負わされたものを知ったときに、悪いことをしたと思ったのだ。気付かず、身代わりにならなかった。自分程度が生きていたところで、何をなすこともないと、予想はついている。それなら別に、いなくても変わらないのだ。

 伶に告げれば、怒られるだろうと思う。少女は、生きることに真摯だ。意味を考えることもなく、生きたいと思い、それが当然と捉えている。

 宏樹には、それが眩しかった。

 日本でごく普通に大学を出た宏樹は、ぼんやりとしていたら職に就き損ねてしまい、何故か中国に連れてこられてしまった。それも、講師でなく助手なのだから、いよいよもって妙な事態だ。学生時代、何の気なしに中国語を取っていたからなのかも知れないが、その程度では、ぎくしゃくと旅行がこなせる程度で、慌てて中国会話のテキスト類を買い漁り、端から詰め込んだものだった。物覚えはいい。

 そんな、何にもならない人間。替わってやるべきなのだ。

 それなのに、例え反対されたとしても――その可能性は半々のような気がするけれど――実行しなかったのは、生きようと、比較的最近に、決めたからだった。伶に出会って、生きていたいと思った。

「お前は、欲がなさすぎる」

「そうでもないと思うけど」

「いいや。命に無頓着なことといい、無欲の塊だ。よく今まで生きてこられたな」

『それは、俺も思うけど』

 呟きが、思わず日本語になっていたらしく、伶は訝しげに眉をひそめた。わざわざ言い直す気にもなれず、適当に誤魔化した。

 そう言えば、伶は事の真相を知っているのだろうか、と思う。あの幽霊が、懺悔でもするように告げていったことがあるのだ。

 実は、あの後も、身代わりになりそうな人は通りかかったんです。だけど、あの人の剣幕が思い浮かんでしまいましてね、足がすくんで、動けたものじゃない。そうこうしているうちに、いい心根だと、土地神になれたんですよ。

 一緒に飲んだお酒の礼と共に、そう言って。よほど、あの剣先が突きつけられたのがこわかったようだ。

 まあいいかと、宏樹は、無駄話に花を咲かせた。

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