同行者たち



「あっれー? どこいっちゃったんだ、土岐ーっ?」

 がさがさと、草木を掻き分けて相棒を捜す。陽華が行方不明になった場合には匂いで辿れるのだから、なんだか、不公平な気がする。

 そして返答は、土岐からではなく、別人の悲鳴から得られた。

「ぅぎゃーっ!?」

「・・・元気な反応の仕方だ。って、違う違う。土岐ー、もしかしてそっち?」

 思わず感心してから、突っ込んで呼びかける。

 声のした辺りに近付くと、陽華の嗅覚でもそれと捉えられるほどに、食べ物の匂いがした。それでかと、納得する。

 茂みを抜けて顔を覗かせると、予想通りに、巨きな山犬と怯える旅人がいた。

 串に刺した肉を置いた焚き火を挟んで、二十歳半ばと見える旅装の男は、恐怖で顔を引きつらせている。つと、その視線が陽華に向けられる。

「あー・・・ごめんなさい、うちの相棒が迷惑かけまして」

 むと、気分を害したような視線を浴びて、山犬に顔を向けた。

「一般の人にとっては、現われるだけで恐怖の的なんだって。町中ならまだしも、夜の山なんだから。・・・すねないでよー」

「あ・・・ああ・・・」

「あ、ごめんなさいごめんなさい。でも、土岐は・・・ああ、土岐って名前なんですけどね、理由もなく人を襲ったりしませんから。今回も、空腹で匂いにつられてきたけど、無断で食べるとか、しなかったでしょう?」

「う・・・」

「厚かましいですけど、何か、食べるものもらえると助かります。ちょっと色々あって、丸一日くらい食べてなくって――」

 ぱたんと。

 言っている途中で倒れてしまった陽華を、すかさず下に体を割り込ませた山犬が受け止める。旅人は、恐る恐ると、そんな一人と一匹を見遣るのだった。



 山の夜に、一筋の煙が上がっていた。

「やー、すみませんねえ、ホントに。何かこの山、不自然に生き物いなくて、狩りもできなくって。本当、助かります」

 遠慮はあってもそうは見えない様子で、陽華はにぎりめしと肉を平らげた。ふたり分を二人と一匹で分けているため、いささか物足りないが、助かったのは本当だ。

 旅人――商いを終えて郷里に帰るところだという元覚は、土岐を警戒しながらも、笑みを見せた。

「君は、一人旅? 危険じゃないのかい?」

「土岐がいるから」

 白い山犬は、早くも食事を平らげ、焚き火の側で丸く寝そべっている。陽華は、その背を軽く撫でて微笑した。

「お兄さんは? どうしてこんなところで野宿なんです? ご飯も、ふたり分持ってたし」

「ああ、それは。仕事仲間と一緒だったんだけど、途中で、体調を崩してしまってね。宿に残して、先に来たんだ。ご飯は、うっかりふたり分頼んだまま、受け取ってしまって。思いがけず役に立って、良かったよ」

「だけど、どうして山に?」

「近道だって教えられたんだよ。少し険しいけど、獣はいないから安全だって」

 穏やかな笑みを見て、だが陽華は、眉をひそめた。

「お兄さん、それ、誰に聞いたの?」

「え――? 仕事仲間、だけど?」

「宿に残してきた?」

「あ、ああ」

 何事かと、首を傾げる元覚に、陽華は、にっこりと笑顔を向けた。

「お兄さん、どこに帰るの?」

「蚕州の知県の方だけど」

「私、験州に用があるんです。途中まで、ご一緒しても構いませんか?」

「君の相棒がいれば、僕も心強いよ」

 にこにこと和やかに、食事は終わった。

 陽華が、見張りの必要がないというよりも先に、元覚は眠りに落ちていた。よほど疲れていたのだろうと、焚き火に薪を追加しながら思う。

 当たり前だ。

 この山は、確かに動物の気配はないが、高さのわりに険しい。山を越えた向こう側に行くとしても、よほど、回り道をした方が早く着く。近道などと、薦める人の気が知れない。

「うん? そうだね、確証はないけど」

 顔を寄せてきた土岐に、体を寄せて囁く。

「一飯の恩があるからね。放ってもおけないでしょ。この人、殺されてもしばらく、何があったか気付かなそうなんだもん」

 一人と一匹は、身を寄せ合って、夜の森で眠りについた。



 倒れ伏した男を見て、元覚は、青ざめた。見たものが信じられないとでも言うように、呆然とする。

 山で一夜を過ごした、

「陳相・・・どうして・・・」

 力無く零れ出た言葉に、陽華が冷静な視線を返した。

 組み伏せた拍子に手から落ちた短刀を、空いた手で拾い上げる。男の首元には土岐が牙を当てていて、使う必要もない。

「役所に突き出すべきだと思うけど、どうします?」

「役所――」

「な、なあ、ちょっとした手違いだ。わかるだろ? 助けてくれよ、なあ」

「手違い、ねえ? 遠回りの道を行かせて、短刀持って待ち伏せて、手違いってことはないんじゃない? 周到な案とは思えないけど、うっかり間違えて起きるようなことじゃないね」

 陽華が男を見る目は、極めて冷たい。

 いまだ動けないでいる元覚に視線を転じて、軽く、溜息をついた。

「まだ、わかりませんか? この人は、お兄さんを殺して売上金を独り占めしようとしたんですよ」 

「だけど・・・だって――」

 陽華は、ちらりと土岐と目線を見交わした。肩をすくめる。

「一つ、お聞きします。本当に判ってないんですか? それとも、わかりたくないんですか?」

 す、と、元覚が顔を上げた。

 落ち着いた瞳の色に、良かった、と密かに思う。土岐も同意らしく、うなるような声が聞こえた。

「役所に、行ってください」

「元覚!」

「あなたの儲け分は、ちゃんと家族に渡しますよ。僕は、あなたのようにはなりたくない」

 きっぱりと言い切った決別に、男は、ぎりと唇を噛んだ。

 それを引き立てて、近くを通りかかった人に尋ねて役所に向かう。その間、罵る男の声が聞こえるだけで、元覚も陽華も、土岐も無言だった。



「ありがとうございました」

「いえいえこちらこそ。ご飯、ありがとうございます」

 最期まで見届けていくということなので、陽華と土岐は先に出立することにした。礼にと銀を渡されかけたが、辞退する。

「ご飯のお礼ですから。恩を受けておいてなんですけど、お人好しも程々にした方がいいですよ?」

「だけど、そのおかげで君たちに助けてもらえた。何がどう転ぶかわからないなら、せいぜい、好きなようにするよ。忠告だけ、ありがたく受け取る」

 そんな返答に、思わず笑みがこぼれる。頼りないのかしたたかなのか、よく判らない。

「それじゃあ、さようなら」

「元気で」

 別れて、とりあえずは験州の方向に歩いて行く。実のところ、当てもない旅路なのだが、当てがないだけに、なんとなくそちらに足が向いた。

 気侭な旅というよりも、ただの根無し草だ。

「もらっとけば良かったって? いいじゃない、この間のお金もまだ残ってるし」

 土岐から、苦笑が向けられる。それに笑い返して、毛皮で柔らかい頭を撫でる。見上げた空が、厭になるほど青い。

「ねえ、土岐。裏切られるのって嫌だねえ」

 ぽつりとした呟きも、土岐の同意も、すべて、日中の田舎道に消えていった。 



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