要が真冬の夜に外に出ようと思ったのは、気の迷いだった。

 何故か寝付けず、その癖疲れ切っていたために思考が鈍り、ふいと、逃げ出したくなった。全て投げ出して、どこか、誰も知らない場所に行ってしまえばいいじゃないか。

「…寒ッ」

 が、悪魔の囁きは長続きはせず、あまりの冷え込みに即座に我に返る。雪こそ降っていないが、むしろ、だからこそ、寒い。

 寝巻きのスウェット姿で上着すら羽織っていなかった要は、己の行動に白く凝った溜息を落とし、家に戻ろうとした。こちらでは比較的小作りな一軒家が、半年以来の要の家だ。

 そこでふと、声を聞いた気がした。くぐもった、人とも獣ともつかない、言葉を成さない呻き。 

 声をかけようとして、躊躇う。ここが実家の傍であれば、怪我をした獣でも迷い込んだと思っただろう。だが、ここでは――迂闊に声をかけて、例えば強盗でもいたとしたら、厄介なことになる。要は、身体的にはまだ充分に子どもだ。

 結局、何も言わずに極力足音を消して、音が聞こえた方へと足を踏み出した。

 はじめは、ただ寝ているのかと思った。男が一人、蹲るように道に倒れている。月明かりによく見ると、胸のあたりが黒く濡れている。血だ、と気付くのに長くはかからなかった。

「えっ…ちょっ、大丈夫…なわけない、あのっ、聞こえてる?!」

 慌てて、とりあえず体に触れる。温かいし、呼吸はある。呻き声は高くなったような気はするが、意思を表してくれるほどではない。

「――救急車!」

「…て」 

「え?!」

 思いがけず、強い力で腕を掴まれる。乾きかけた血が張り付き、スウェット越しにも少しざらりとした感触がある。

 開いた眼が、必死で要の姿を捉えようとしながらも、霞んでいるのが判る。焦点も合っていないだろう。

「すぐ、救急車呼ぶから!」

「ま、て…よぶ、な…」

「どうして!」

「…よぶ、な…まずい…」

「お金なら僕が」

「ちが…」

 ふっと、力が弛む。

 もう一度目を閉じてしまった男の顔を見て、血まみれの身体を見て、要は唇を噛み締めた。迷い、しかしすぐに、脱いだスウェットで止血にかかる。そこでもう一度迷ったものの、要は、一端家に駆け込むと、納戸の中に立てかけてあったスケートボードを引っ張り出して、傷に気を払いながらも、男の身体を載せて引きずった。

 まだ十二歳の要では、成人はしていそうな男一人を移動させるだけでも時間がかかる。

 どうにか家まで運ぶと、要は、棚に並んだ医学書を一冊、抜き取った。前の住人は、その他にも一通りの手術道具は家に揃えていた。

「…救急車、呼んだ方がいいよなあ…」

 呟きながらも、要は、解剖図から目を外さずにいた。



話置場 表紙 中表紙














「良かったよ、頑丈で。で、あんた何者? 自慢じゃないけど、手術が物凄く下手…って言うか、時間がかかってね。普通の人間なら確実に昇天してる」
「…俺が普通の人間じゃないって思ってて、なんでそんな落ち着いてるわけ?」
「僕には関係ないし。今訊いてるのも、単純に興味だしね。面倒見たお礼に、好奇心くらい満たしてくれる?」
「……頼んでねーし。口封じで殺されるとかは考えてねーの?」
「ああ、それがあったか。殺す?」
「軽っ! ――お前それ、どうかしたのか」
「え? ああ、何分メスを持つのもはじめてなものだから、うっかり手を切って。あ、勝手に血液検査させてもらったよ。感染症は持ってないみたいだね。どうかした?」
「――それ、どのくらい前だ」
「は?」
「切ってから、どれだけ経った?!」
「えーっと…一日、には足りないかな。正確な時間が必要?」
「一日…」
「昨日あんたを見つけたのが一時か二時くらいで…十九時間、くらい?」
「そうか…なら、大丈夫か」
「一体何だよ。珍しい病気にでも罹患してるのか?」 
「まあ…似たようなもんだ。何者かって言ったな。お前らにわかりやすい言葉で言うなら、ヴァンパイア」
「昼間、光差し込まなかった? どっか溶けてない? 大丈夫?」 
「気にするの、そこか…?」
「折角助けたのに、予想外のところでうっかり死なれたりしたら厭じゃないか。あんたの反応からすると、僕には危害もなさそうだし。これだけ時間が経って何もないなら平気ってことだろ?」
「だから…身の危険とか、感じねーの?」
「血相変えて僕の心配をした相手に? 説得力ないな」
「…。なあ、…いや、いいや」
「何だよ、言いかけて止めるなよ」
「しばらく置いてくれないか。家賃くらい払うからさ」
「いいよ。研究所の人間にばれなければ。日本語で会話のできる相手は貴重だし。日本にいたの?」
「あ、ああ、この間まで…って日本語。ああ、俺日本語で喋ってたのか!」
「遅い」
「うるせ。で、なんで? ホームシックか?」
「実家に、妹が残ってるんだ。次に会ったときに話せないなんて厭じゃないか」
 
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