夕闇夢想

 美希は美術室の戸を開けた。普通の教室より広い空間の中に、幾分大きな机が、ホームルーム教室よりも少ない数並んでいる。その分空いた部分には、美術部の生徒のものだろう描き掛けの絵が、イーゼルに立て掛けられたまま置かれている。

 その中に、一面ウルトラマリンの色を使った絵を見つけて、絵の間を歩いていた美希は、足を止めた。

 ウルトラマリン。

 綺麗な色だと思う。それは今も変わらない。でも――哀しい色。



「美希?」

 名前を呼ばれて振り返る。それは、とても聞き覚えのある声。

「帰ったんじゃなかったのか? あ、勝手に見るなよ」

 夏服の上に絵の具だらけのエプロンをつけた男子生徒。よく日に焼けたしなやかな体は、文化部よりも運動部に向いているように思えた。実際、体育の時間の活躍ぶりは凄かった。

 絵の前に立ちはだかって、両腕で隠すように広げる。はにかむように笑う。

 全てに、見覚えがある。

「完成するまでは見るなよな。でき上がったら、好きなだけ見せてやるから」

「真崎」

「何?」

 きょとんとしたように、首を傾げる。高校生にしては幼い仕草だ、とよくからかっていた。

 夕日が差し込んで、教室が朱く染まる。それは、思ったよりも影を濃くし、しかし浮き立たせることはなかった。

「――その絵、完成したらちょうだい。部屋に飾るよ。コンクールとか出すなら、その後でいいから」

「えーっ」

 嫌そうに言いながら、その実喜んでいるのが判る。笑みも、完全には隠せずにいる。

「ま、仕方ないか。美希の頼みだしな」

「ありがと」

 少し、泣きたくなった。



「高野? こんなところで何やってるんだ」

「・・・ちょっと、懐かしくて、浸ってました」

 美希は、薄暗くなった教室で入口に立つ橋田を振りかえり、笑った。途端に、教育実習のために新調したリクルートスーツを着ている自分を思い出す。

 この学校を卒業してから、四年近く。「もう」と言うべきか、「まだ」と言うべきか。

「その絵、見てたのか」

「――はい」

 少し、真崎の絵に似てますね。決して声には出さずに、そう言う。

 橋田は、教室の電気をつけて、美希の方に歩き出していた。在学中に世話になった先生。美術部の顧問でもある。

「凄いだろ。一面炎なんて、俺にはよくわからんな。でもまあ、綺麗だけどな」

「え」

 安っぽい光に照らし出されたそれは、間違いなく赤色だった。ウルトラマリンは、どこにも使われていない。

「持田真崎もよく一色で絵を描いてたな。ほら、高野と同じクラスだった。覚えてるか?」

「はい」

 橋田は、窓に歩み寄った。寒い中、校庭ではサッカー部がまだ練習をしている。

「しかし、高野が先生か。持田もなあ・・・・」

 生きていたら、どうなっていたか。言っていない台詞の後半が、美希には聞こえたような気がした。

 外は、夕闇に沈んでいた。



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