開かれた扉

「じいちゃーん」

「おじいちゃーん」

 昔ながらの日本家屋の中を、二人は走り回っていた。広い家ではあるが、走る必要はない。双子に父――二人から見れば、祖父にあたる――を探すよう頼んだ母親は、居間で頭を抱えている。

「いた?」

「いない。声、聞こえてないはずないよな?」

「これで聞こえてなかったら、よっぽどの難聴よ」

「ぼけてるってことは? じゃなきゃ、倒れてるとか」

「葵ちゃん。それ、そのままお父さんに言ってもいい?」

 茜がそう言って微笑むと、葵は顔を引きつらせた。昔教え子だった父は、祖父に傾倒しているといってもいい。こんな台詞を聞かれたら、趣味のプロレスの技をかける実験体にでもされてしまう。

「あ、茜、それは卑怯すぎるだろ、って言うか、冗談だって」

「今度アイス、おごってね。サーティーワンのダブルがいいな」

「それってありか・・・・?」

「代わりにあたしが、シングルおごってあげるわよ。脅迫にしてはかわいいもんでしょ?」

 葵は、肩を落とした。負けだ、白旗。そうぼやいて、溜息をつく。もしここに母がいれば、「やっぱり仲がいいわねえ、あんたたち」とでも苦笑して見せたことだろう。

 実際、二人は仲がいい。この年齢で歳の近いきょうだい、特に異性となると普通は仲が悪いと、友人たちにも言われたことがある。しかしまあ、人それぞれだということだ。

「えーっと、それで? あと探してないのは?」

「なあ、やっぱダブルってのは・・・」

「葵。誰がそんなこと訊いてるのよ?」

 半眼で睨みつける。顔を引きつらせてあとずさる葵には構わず、茜は右側は全部見て回ったし、と呟く。左は? と訊くと、まだ顔を引きつらせたまま葵が肯く。

 そして、二人同時に。

「開かずの間」

 葵が体勢を立て直して叫び、茜が首を傾げて言う。

「でも、あそこには入れないって言ったのはおじいちゃんでしょ?」

「入れない、だろ? かぎかかってたけど、それだってじいちゃんが持ってて、一人で入ってるんじゃないか?」

「何のために? ここ住んでるの、おじいちゃんだけだったじゃない」

 今日二人がここに来たのは、この夏休み中に引っ越しの算段を立てるためだった。それまでは、正確には今も、祖父は一人暮らしなのだ。

「だからだろ。俺たちが来てるときは開かずの間だって言って入れないようにして、で、引っ越してくるとなるとそうもいかないから、見られても平気なように片付けでもしてんじゃない?」

「残念、ハズレ」

 どこか楽しそうに、あっさりと却下する。

「それこそ、今じゃなくてもいいじゃない。なにも、今日明日に引っ越すわけじゃないのよ? 葵の言う通りだとしても、あたしたちが帰ってから、一人のときにすればいいことじゃない」

「あ、そっか」

「とりあえず、行ってみようか?」

「おう」

 既に何度も訪れているので、どこをどう行けばいいのかは、ちゃんと判っている。二人は、最短距離と思われる行き方で、「開かずの間」の前にたどり着いた。

 開かずの間といっても、他と特に変わっている様子はない。ただの板戸。ふすまでないところが不思議といえば不思議という、ただそれだけだった。そこを、祖父は「白蛇様が居られるから開けてはならん」と言っているのだ。

 二人は、顔を見合わせた。少しして、葵が手を伸ばす。

「じいちゃん、いる?」

 ノックにとどめて開けようとしないのは、小さい頃から「白蛇様の邪魔をしてはならん」と聞かされてきたせいかもしれない。

 何の反応もなく、違うか、と二人が次の場所を考え始めたとき、部屋の中で音がした。思わず、体が強張る。引き摺るような、大蛇がいれば立てるような、足音。

 息を呑んで硬直する二人に反して、板戸は軽い音を立てて開かれた。

「なんだ、そんなお化けでも見るような顔をして」

「じいちゃん・・・」

「おじいちゃん・・・」

 揃って脱力する。常識的に考えてみれば、そのはずだった。祖父はこの開かずの間にいるかもしれない、とついさっきまで話していたにも関わらず、もしかしたらと思った自分達に、少し呆れる。

「なにやってんだよ、ここ開かずの間なんだろ? なんで、言った本人が入ってるんだよ。あー、びっくりした」

「おじいちゃん、足どうかした?」

「ああ、昨日ひねってな。そんなところに立ってないで、入るか?」

 間髪入れずに頷いた二人のアタマからは、母が一人で居間で待っていることなど、とっくに消え去っていた。          

 中は、思っていたよりも狭かった。「白蛇様がいる」というくらいだから、広い、立派なものだと思い込んでいたのだ。ところが、ただの物置のような空間で、三畳もないかもしれない。

「なんだ。やっぱじいちゃんの作り話か」

「へーえ。さっきびびってしがみついてきたの、誰だった?」

 じゃれ合う双子を見て、祖父は微笑んだ。こんな孫がいて、娘が無事に育って、素直な教え子は義息子になった。今はもういないが、妻にも出会えた。幸せだと思う。後悔などしようがないほどに。それでも、あれは正しかったのだろうかと、不意に考えてしまうのだった。

 もう、五十年以上も前になる。裕福な家の、体裁ばかりを重んじた日々に反発して、この「開かずの間」に入ったのだ。当時は、「神依の間」と呼ばれていた。入る時には禊をしなければならない部屋に、そのまま入った。

『峰明さんは逝った』

 ただ一言、それだけ。だがその時のことを、まだ覚えている。

 白い着物に白い髪、濁った赤い瞳の女が、現れて淋しげに微笑んだのだ。そして、つぶやくように『ありがとう』と言って、消えてしまった。

 その後、家は一気に傾いていった。経営の才能もろくになく、手に職があるわけでもない。傾き始めると、家を売り払うほどに落ちぶれるのはすぐだった。その中でどうにか教師の職につき、様々な教え子を見送って、妻に、義息子に会った。

 そして――今に至る。

「でも、白蛇様がいないんだったら、どうしてここを開かずの間にしたの?」

 なんかやばいもん隠してたんだって、と囁いた葵に拳骨をくらわせて、茜は祖父を見た。祖父は、優しく笑んでいる。

「昔は、本当にいたんだよ。恋人を、帰ってきたら結婚するという約束を交わした恋人を待っていた白蛇様がな」

「今は?」

「恋人と一緒に居るかもしれんな」

 恋人は、仕事で出掛けた先で遺産に目がくらんだ親族に殺されていた。そしてそのことは、白蛇には知らされることはなく、逆に、恋人の帰りを待つ彼女を、家の守り役に仕立て上げた。そうして峰明の親族は、妖怪を妻に迎える非常識な親戚を持つこともなく、莫大な財産を手に入れたのだ。

 買い戻すことのできた家に以前と同じく「開かずの間」を作ったのは、供養のつもりだったのかもしれない。小さなその一間は、広い家の中ではなくても、別段支障はなかった。――白蛇は、そんな小さな部屋で、長い間恋人を待っていたのだ。生来眼が見えず、闇の中で、ずっと。

「茜、葵! お父さん、見つかったの?」

「あ」

 母の声に、ようやく当初の目的を思い出す。今行く、と応えて、三人は部屋を出た。



数字版 中表紙
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送