旅の途中

 去年の秋、高成は適当に国鉄の切符を買った。

 本当に、適当だった。券売機の前に立って、財布の中から何枚か硬貨を掴み出して、切符を買った。何円かかったかは覚えていないが、そう近場でなかったことは確かだった。

 とにかく、行き当たりばったりだった。

 旅費は、突然入った臨時の金。バイトは――一週間ほど休みを取ったから、まだ半分ほどは行かなくても良かった。大学は公欠扱いになる。母の葬式をするためだった。

 男に騙され、逆に騙して、この国の底辺の、かろうじて上辺に留まっていたようなひと。そのくせ、高成の遺伝子上の父であった男に対しては、一途とさえ言える感情を抱いていた。

 高成が成長するにつれて、そのためだけに――高成の背後に見ていた父の為に――金を稼いでいたような生活。きっと、その生涯をざっと書いただけで、小説でも書けるだろう。波乱万丈な物語、或いは昏いありきたりな悲嘆の物語が。

 あの人は何がしたかったんだろうと、高成は度々考えた。

 大学に入って家を出ると、それはいよいよ増えた。母の庇護下から離れ、それでも未だ、確かに庇護されている状態で。高成にとって母は、一言でいうことはできず、全てを集約したような、逆に排除したような、そんな不明瞭な存在だった。

 窓の外を流れる風景を見やりながら、そのときの高成は、そんなことを思っていた。何かぼんやりとして、ものを考えるのも面倒だった。

 葬式に高成以外の出席者が駆けつけることはなく、骨壷に収まった母と母の荷物は、まとめてしまうと、多少大きくはあるが、かばん一つに収まった。そのかばんは、今は高成の肩にかかっている。小さい割には、何かずっしりと重かった。

 母のおかげで今までのバイト代は手付かずだったから、大学の費用の心配しなくても良かった。そうでなくても、学費を全てバイト代でまかなっている友人もいる。




 降り立った駅は、どこかの田舎だった。緑が濃い気がしたのは、ただの気のせいだっただろうか。風が、大学で感じるよりも冷たい。

「お兄ちゃん、どこの人?」

「君は?」

 駅を出てすぐに出会った少女は、そう言って首を傾げた。この辺りの子供なのか、長い髪をした、普段着に見える着物姿の少女。駅の前――一本の土道を残して畑になっている、その道と畑の間で――少女は一人で遊んでいたようだった。

 少女は、高成の言葉に、一度意表を突かれたように目を見開いて、次いで、興味深そうに高成を見て、笑顔になった。

「これからお兄ちゃんが行くところ。来て」

 そう言うなり歩き出した少女を、呆気にとられて見ていた。この瞬間、母の遺品と遺骨の詰まったかばん――墓がなく、持ち運ばざるを得なかった――の重みも、忘れていた。

「来ないの?」

 数歩行って振り向いた少女は、とても無邪気に見える一方で、やたらと大人びて見えた。そして、返事を待たずに再び歩き出す。

 高成は、慌てて少女の後を追った。




 その後のことは、今でもよく覚えている――と同時に、夢を見ていたような、心許[もと]ない気分にもなる。

 マヨイガ、という伝承がある。人気のない大きな屋敷に迷い込み、場合によっては、人がいないままもてなしを受ける。そして客人は、一つだけ、そこから何かを持ち帰ることができる。そしてそれは、富や幸福をもたらすのだ。

 あるいは、妖怪や、妖怪でなくても現世から離れた人々の暮らす隠れ里。普通の者は入れないが、何かのきっかけで迷い込んだりもする。現世とは時間の流れが違うという話もあるから、浦島太郎の行った竜宮城も、一種の隠れ里なのかも知れない。これは、マヨイガと同一視されることもある。あるいは、隠れ里にマヨイガがあるのか。

 そういったところではなかったかと、高成は思う。

 もっともこれは全て、帰ってから調べてわかったもので、そのときはただ、素朴でのどかで、そこにいる人たちの優しさが泣きたくなるほど沁みて、なにか穢れのない、そんな場所だという印象を受けただけだった。

 そして後日、自分の降りた駅が、使われなくなって久しいことを知っても、驚きはしても不思議には思わなかった。そういうものなのだろうと、何故か納得がいった。





「お兄ちゃん、ここに住む?」

 帰り際、この村に連れてきてくれた少女は、そう言った。少し迷ってから、高成は首を振る。

「じゃあ何か、記念に持って帰る? 何でもいいよ?」

 もう一度、首を振る。

 ただ、思いついてかばんを開ける。骨壷を出すと、少し見つめてから、ようやく口を開く。

「これ、置いといてもらえないかな。持って帰ったって、あんまり喜ぶとも思えないし」

 半ば必然的に喧騒の中に身を置いていた母には、ここは物足りないかもしれない。そう思いながらも、逆に、こういうところこそ母に似合うような気もした。

「来年、また来るから。せめてそれまでは」

「うん。わかった」




 あの時少女は、どんな気持ちで笑ったのだろうか。

 来れるわけがないと、簡単に約束をした高成を、嘲[あざ]笑っていてもおかしくはない。だが高成は、そうではない気がした。

 あれから一年が経って、高成は、手をつけずにいたあのときに切符を買った残りの金――母が自分の生活のために手元においていた、少しばかりの金――から今度は、何枚かの紙幣と、ほんの数枚になってしまった貨幣を券売機に入れ、その中で最高額の切符を買った。去年の秋と同じように。

 再び行けるかどうか、確信はない。それどころか、常識的に考えれば、行けるはずがないのだ。夢でも見ていたと、常識人でありたければ、結論付けるしかない。

 それでも高成は、切符を買って電車に乗った。窓の外を、さまざまな景色が流れていく。

 もし再び、あの少女に尋ねられたら。自分はどんな選択をするのだろうと、高成は考えていた。



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