仮面の調べ

「あら、珍しい。来てくれたのね?」

 そう言って、一応の宴の主役であるはずの少女は微笑んだ。応えて、青年は苦笑した。

 もっとも、二人とも、顔を半分近く仮面で隠されているため、口元でそれと判る程度だが。

「だってお前、来なかったら怒るだろう? それに俺だって、妹の晴れの舞台くらい見守りたいさ」

「そんなこと言って、どうせ、仮面舞踏会でなければ来なかったのでしょう」

「厭に突っかかるなあ」

「私たちを置いて、勝手に出ていったのだもの。この程度のあしらいで済んだことに、感謝してほしいくらいだわ」

 青年、レナードは苦笑して、わかりやすく肩をすくめた。

 実際、どれだけ文句を言われても、どれだけの仕打ちを受けても、仕方がないかも知れないと思う。傍から見ればそれは逆で、感謝はされても怒られはしないだろうと思うのだろうが、レナードたちの間では、違う。

 レナードは、多くを保証されていた未来を投げ捨てて、町娘の元へと走った。

「感謝はしているよ。アーロンは跡を継いでくれたし、フェリシア、お前も婚約披露のパーティーに招待してくれた。わざわざ、仮面舞踏会にまでして」

「お礼ならアーロンに言って頂戴。あの子なのよ、お兄様を招待しようと言ったのは」

「・・・そうか」

 優しくて、臆病だった弟を思い出す。

 レナードが思っていたよりも早くに父は倒れ、家督は、出奔してしまったレナードのせいで唯一の跡継ぎとなったアーロンに譲られた。

 何の後ろ盾もない町娘と暮らし、商売をするレナードには途切れ途切れにしか届かない噂は、弟の無能ぶりを、愚者ぶりを伝えていた。正直、あの弟は耐えきれなかったのだろうかと、疑いもした。

 しかし、レナードをこのパーティーに招待したのがアーロンなら、そんなはずもない。

 ただ招くだけならともかく、わざわざ、レナードの正体が露見しないように、仮面舞踏会を用意したところも含め、あの弟は、強かになったのだと判る。

「・・・なあ。怒ったか、アーロンは」

 恨んでいるか、と言いかけて、まだしも表現のやわらかい方を選ぶ。

 今度は、フェリシアの方が肩をすくめた。

「大切な大切な姉の婚約発表の場を、わざわざこんなものにしたのよ。お兄様の衣装の手配も全部して。それでも、文句があるというの?」

「いや、そういうわけじゃないんだけどな」

「それなら、ごちゃごちゃ言わないで直接言ってくれないかしら? どうせ、そのあたりで女の子相手に遊んでるわよ」

 そう言って、すっと、フェリシアは細い手を差し出した。

「だけどその前に、一曲くらい踊ってくれるわね?」

 そっと、レナードは手を受けた。アーロンが、衣装に手袋も用意してくれたことに感謝する。水を扱う仕事をこなすレナードの手は、昔の、剣の手習いでとは違った風に荒れている。

 恥ずかしくはないが、もしも、ひび割れがフェリシアの手を少しでも傷つけたらと思うと、厭になる。

 このパーティーは、おそらくはレナードのためのものだ。貴族と庶民では、滅多に出会うことがない。だからこそ、妹の祝い事に呼んでくれたのだろう。

 だが同時に、過去の栄光を思い出させようとしているなら、それはそれで成功だろうと、穿った考えに軽く自己嫌悪する。

 しかし、あんなにも信頼してくれた弟と妹を、何も告げずに放り出したのは自分なのだ。

「喜んで。――でも、婚約者は妬かないのか?」

「だって、あの人は知っているもの」

 そこで、二人は踊る仮面の群の中に混ざっていった。



「お久しぶりです、兄上」

 そう言って、宴の主催者は軽く一礼した。レナードは、ぎこちなく身じろぎした。

「・・・兄上なんて、呼ばれる資格は、俺にはない」

 壁際に寄りかかるように立っていたレナードに倣って、ピエロのような仮面を付けた青年は、壁に背を預けた。

「僕だって、公爵家を継ぐ資格はないはずでしたよ」

「・・・お前のそれは、正式なものだ」

「どんなに邪魔でも、必要としていなくても、ね。それなら、兄上が僕の兄上だということだってそうでしょう?」

 口調は飽くまで淡々としていて、むしろ、楽しそうな響きさえ感じられる。しかしそれでもレナードは警戒してしまい、そんな自分に嫌悪する。

 裏切ったのは自分で、弟ではない。

「兄上は、きっと警戒なさっているのでしょうね。恨まれているはずの相手から施しじみた扱いを受ければ、そうも思うでしょう」

 仮面の下の顔は、どんな表情だろうか。

「けれど、考えてもみてください。兄上が上等の道を逸脱したおかげで、本来ならうち捨てられるも同然の扱いのはずだった僕に、こんなにきらびやかな生活が回ってきたのですよ。王に近しい血筋。何かあれば、王位にさえ就けるかも知れない位置に、僕はいる。辛い労働もせずに、人に指示を出す立場で。素晴らしい生活ではありませんか?」

「――本当に、そう思うか」

「ええ」

 仮面の下で、今自分は、どんな表情をしているのだろう。

「やだなあ、眉間にしわ寄せて。その癖、まだなおってないんですね」

「え?」

 わずかに変化した調子に、レナードは、思わずまじまじとアーロンの顔を見てしまう。むろん、仮面で、何が判るはずもない。

 そんなレナードの反応に、くすくすと、ピエロの仮面を付けた青年は笑った。

「こう言えば、複雑ながらも兄上は安心するかも知れないけれど、残念ながら違いますよ。僕は、それはそれは悲しんだんです。そのことは、きっちり知って置いてもらわないと厭ですよ」 

「え。な。な――あ? だ、騙したのか、お前?!」

 叫びかけた声を慌てて押し殺して、レナードは目を剥いて弟を見つめた。ピエロ面の青年は、くすくすと、楽しそうに笑う。

「騙しただなんて人聞きの悪い」

「――忘れてた。お前は、仮病を使うのが、それはもう上手だったな」

「あはは、懐かしいなあ。だけど、いつも兄上には見破られてましたよ。鈍りましたね、兄上」

「・・・久しぶりだな、アーロン」

「本当に」

 にこりと、笑った気配がした。笑みで両端の上がった口は、ピエロの仮面に、実に良く合っていた。

「まさか、会った途端にペテンにかけられるとは思わなかった。お前、俺よりもずっといい性格になったな」

「誉め言葉と取っておきますよ。ありがとうございます」

 言って、アーロンは軽やかに一礼して見せた。

 そうして、ピエロは微笑む。

「兄上。兄上は昔、僕に、自分のために動いていいと言ってくれました。だから僕は、好きにやるつもりです。どうぞ、遠くで結果を見てください。その結果がどんなものであれ、できるなら、よくやったと誉めてください」

「何を――」

「兄上。もう、会えるのはこれが最後でしょう。僕たちを置いていったことを少しでも気に病むなら、どうか、この地を離れてください」

「お前は、何を――」

「お願いします」

 笑みを消したピエロは、夜中の置物のようだった。

 そのまま立ち去ろうとする弟に、最後の声をかける。

「なあ。俺を――恨んだか?」

「兄上。昔も今も、僕はあなたを兄上と呼べることが嬉しい。僕の家族は、兄上と姉上だけです。だから――とても悲しかったんですよ」

 背を向けた青年は、するりと踊る人々に紛れ、判らなくなってしまった。

 レナードは、しばらくの間だ呆然と立ち尽くしていたが、近くの扉から、外に出た。夜気に触れるのとほぼ同じくして、仮面を外す。

 吐息は、かすかに白かった。

「あれのどこが、愚かな若造だ。まったくあいつは、仮病が上手い」

 呟く声に、力はない。

 ただの、独り言だ。

 夜空に凍る月を見上げて、真実のピエロは――道化は、愚者は誰だったのかと、埒もない思いを馳せた。



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