「ねえ。僕は何をすればいいの?」
少年は、無邪気にそこにいる女たちを見遣った。
女たちは、若い者もいればしわだらけの老婆、顔一面に醜い火傷の引きつれのある者、まだ幼い少女などがいたが、どれも、うっそりとした空気を持っていた。
「何をするのか、はっきり言ってくれなければわからないよ。ねえ、何をするの?」
今年で六つになる少年、アーロンは、その空気に気付いていないはずもないのに、にこにこと笑顔で女たちに話しかける。
アーロンにとって、重苦しい空気も不穏な空気も失望も、身近なものだった。
だから今更、怯むものでもない。
「お前は」
近くにいた少女が口を開き、自分が声を出したことにはっとしたかのように閉ざしてしまった少女に、アーロンは微笑み掛けた。急かすのではなく、先を促す。
まだ、自身も幼いと言える年齢でここまでの対応ができるのは、育った環境による。
周りにいるのはほとんどが大人で、そのうちのほとんどから疎まれ、あるいは利用物と見なされていれば、人の感情にも機敏になろうというものだ。相手が自分に害のある者かどうか、そこを見定めなければ、生きてはいけない。
今のところ、アーロンが素直に感情を表わせるのは、兄と姉だけだ。その他には、とりあえず無邪気な笑顔を向けて、相手の出方を窺う。
それが、身に付いた行ないだった。
「・・・お前は、我らを忌まぬのか」
「忌む? 何故?」
「・・・それなら、それでいい」
そういったきり、口をつぐむ少女に首を傾げる。
「あなた達が、僕を呼んだのではなかったの? てっきりそうだと思ったのだけど。何か、して欲しいことがあるんでしょう? 違うの?」
「聞こえたのかい。声が」
思っていたよりも近くで聞こえた老婆の声に驚きながら、うん、と、アーロンは頷いた。
――おね・・い・・・・ショ・・・・・・ワーを・・・パッショ・・・・・・・・・・を・・・・して・・・・・・
途切れて聞こえる声に呼ばれて、アーロンはここにやってきた。庭内の一角の建物は、ひっそりとあり、多くの女たちがいた。
人にはなるべく親切にしたい、というと、兄や姉に苦笑されるが、危害を加えるのでない人には、親切にしたい。――そうしていれば、自分はいい人だと思えるから。
「それなら、きっとあんたが助けてくれるのだろうねえ。頼むよ」
「頼むよって・・・だから、どうすればいいの?」
「あたしたちには、それは言えないのさ。あんたが自分で見つけるしかない」
「ええっ?」
意地悪をしている、というのではないとは、女たちの顔を見ればわかる。
女たちは、誰もが期待を込めて、その上できっと期待は裏切られるに違いないと思い込むような眼をしている。
失望に慣れた眼だと、アーロンは思った。アーロンは、その眼を――よく知っている。
「みつけられる、ものなんだよね?」
そう訊くと、老婆は、哀れむように淡く笑った。
「ああ、そうさ。外の――。駄目だね、これ以上は言えやしない。とにかく、外だ。ここの中じゃなくて、外を探しておくれ」
「わかった!」
頷いて、外に出る。
外から建物を見上げると、陽光を入れる場所のない、やたらにしっかりとした造りだと気付く。そのくせ、外観は美しく、一体誰がこんなものを造らせたのだろうと、首を傾げる。
探す外というのは、どこまでを示すのだろう。この建物の外装も、ひょっとしたら含まれるのだろうか。
「もうちょっとはなれ・・・うわあっ」
もっとしっかりと全体が見えるようにと、後ずさっていたアーロンは、何かに足を取られて、後ろ向きに転んだ。
咄嗟に頭を抱えて背を丸めたが、強く打ってしまった背が痛い。
「・・・・・・っぅ」
痛さに、身動きすらできないアーロンは、それでも、少しすると回復した。
まだじんじんとするものの、どうにか体を起こして、自分がつまずいたものを見回す。
建物をぐるりと囲む花々は、来たときには気付かなかったものだった。色とりどりに咲き乱れ、綺麗だ。
「あっ」
自分が、その上に思い切り座り込んでしまっていることに気付いて、子春は慌てて立ち上がった。
服に花や葉の汁が滲んでしまったのも厄介だが、それよりも、無惨に潰れてしまった花が痛々しい。
「・・・ごめん・・・」
そっと花に触れて、ふと気付く。
赤や黄色、紫に白、青に黒。色は豊富だけれど、どれも同じ花だ。広がった大きな花弁を土台のようにして、細かい花弁。その中央から突き出るようにして、円を三分する区切りのようなものが出ている。
綺麗なのだけど、何か、不気味にも見える。その花は、何かを思わせた。
思いついて、アーロンは、ぐるりと建物の周りを回った。思った通りに、花は、建物を囲むようにして咲いていた。
「あ」
そういえば、何から助けるのかも聞いていない。それが、何かの手助けになるかも知れない。
訊くために一旦建物に戻ろうとして、アーロンは、思いついて花を振り返った。
何の収穫もなく戻るのだから、このくらいの土産は持っていこうか。こんなに近くに咲いているのだから見慣れているかも知れないが、建物を出入りした子春は気付かなかったから、そうでもないかも知れない。
花を手折ろうとして、自分が潰してしまった花を見て、掘る方に変える。
何か道具はないかを見回すが見つからず、アーロンは、靴を片方脱いで、それで掘りはじめた。
「アーロン、入るわよ」
「ああ、姉上。わざわざ来て下さって、ありがとうございます」
「起きなくていいわ」
姉のフェリシアは、部屋に入ると、寝台で横になるアーロンに近付いて、額にそっと手を置いた。
「熱は下がったのね。今、兄様がメロンを持ってきてくれるわ。元気があるようなら、少し食べなさい。あなた、食事を摂っていないのでしょう?」
「はい・・・ありがとうございます」
「まったく、崩れかけの建物で二日も寝てるなんて、何やってるのよ。心配したんだから」
「・・・はい」
ついでのように、さらりと言われた言葉に胸が熱くなる。
アーロンには兄がおり、跡を継ぐのは兄とされている。だから、アーロンのことを心底心配してくれる者は、少ない。だからこそ、姉の言葉が心に沁みた。
この人がいい加減なことを言わないのは、知っている。
「おおい、開けてくれ」
「やっと来たわね」
アーロンにくすりと笑いかけて、フェリシアは声の主、兄のレナードのために扉を開けた。
健康的に陽に灼けた兄は、左肩と左手で大きなメロンを抱え、右手には花の鉢を持っていた。
「ありがと、両手塞がってたんだ。アーロン、土産持ってきたぞ」
礼も言えずに、アーロンは、兄の右手の青い花に視線を奪われていた。
それは、あの、建物の回りにぐるりと咲いていた花。そんなものは咲いていないと、言われた、花。
二人の兄妹は、食い入るように花を見るアーロンに、訝しげな視線を向けた。
「この花が、どうかしたか?」
とりあえずメロンと鉢を床に下ろし、鉢だけを、改めてアーロンの前に持ち上げて見せる。
どうって――と、アーロンは自分が見聞きしたことを語った。
それまでは、夢を見ていたのだと言われるのが厭で、誰にも話さずにいたものだ。
「そう言えばあそこは、代々、マジョの疑いを持たれた人たちが閉じ込められていたのではなかったかしら? よそに知られるとキケンだからと、身内でショリするために。だけど、どうしてブルークラウン?」
ブルークラウン。それが花の名だと知って、アーロンはまばたきをした。そんな名をしているのかと、何故か意外に思った。
するとレナードは、ふうん、成る程ねえと、呟いて鉢を下ろした。邪魔にならないように、部屋の隅に置く。
「なる程って?」
「古い呼び方をするからわかりにくいんだろう。最近じゃあ、もっぱらパッションフラワーって呼んでるんだぞ。ブルークラウンなんて、随分と昔の呼び名だ」
「・・・だから?」
ほぼ同時に、アーロンとフェリシアが訊くと、わからないか、と、レナードは呟いた。
「建物を、ぐるりと取り囲んでいたんだろう? この花は、黒魔術になんて手を染めていない、女たちを閉じ込めていたんだろう。見当はずれの信仰心でな。それを、アーロンが掘り出して断ち切ったと、まあ、そういうことになるんじゃないかなあ」
「僕が・・・?」
「何よ、それ?」
「誰かがわざと、嫌みったらしく神を称えるこの花を植えたのか、弔いのつもりだったのかは知らないけど、そうなったんだろう。とりあえず、お前が掴んでたっていうから気になるかと持ってきたんだが・・・厭なら、持っていこうか?」
明るいに、気遣うような調子の兄の声に、アーロンは慌てて首を振った。
魔女と決めつけられて死んだ女たちと、裁く側に立った神を示す花と、それに心はざわめくけれど、見ていたかった。
「何にせよ、いいことをしたな」
アーロンをどう思ったのかは判らないが、そう言って、レナードが笑いかけてくれたことが嬉しくて、あの女の人たちはもう暗い顔をしていないだろうかと思って、アーロンは、泣きそうになってしまった。
ここにいてもいいのだと、そう言ってもらえるようで嬉しかった。
「・・・ねえ。ところでそのメロン、丸ごとだけどどうやって食べるの?」
「あ」
「もう。いいわ、切らせてくる」
「うん。ありがと」
「いいわよ。アーロン、少し待っててね」
「あ。はい」
そうして、二人はフェリシアの背中を見送った。レナードが、失敗したなあと、照れ臭そうに苦笑いしている。
少しして、レナードは、アーロンの頭を軽く撫でた。
「なあ、アーロン。公爵なんて奴の息子でいたら、いろんな醜いところを見て辛くて、それで怖がるのかも知れないけどな。自分のために動いてもいいんだぞ?」
知られているのだと、そう思って、アーロンは先程とは違った感情で、また泣きそうになった。しかし、兄はやはり優しくて。
悩み戸惑うアーロンの視線の先には、青く花を咲かせる、ブルークラウン――パッションフラワーがあった。
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