聖地には聖女がいる

 聖地には聖女がいる。

 それは、いつからか始まった決まり事だった。神々の声を聞く、聖女。聖女はいつも、神殿で穏やかに微笑んでいる。

 ――微笑んでられるのなんて、満たされてるからだ。

 聖女は、それは大切に扱われる。大体が十代前半で見出され、二十を越える前に生を終える。そうして、次の聖女が選び出される。少女たちは、短命故に、殊更に丁重に扱われるのだった。そこには、飢えも寒さもない。

 ハラクは、聖地でスリやかっぱらいをして生きている。

 どう生まれたかや、家族がいるのかといったことは一切知らない。知らなくても生きていけるし、知っていたところで生きて行けはしない。だから、知りたいとも思わない。

 そのとき、ハラクは路地裏を歩いていた。明らかに「同業者」の少年少女、それ以上に悪辣なことをしていそうな男や女。キレイでシンセイな聖地も、一歩裏に入れば、ただの巨大都市でしかない。

 ハラクにはそれが良く解っていたし、だからどうと思うわけでもなかった。

「よう、お前さっき、変なのと一緒に歩いてたな?」

 突然かけられた声に、ハラクは睨みだけを返した。何かと気安く声をかけて来る同類の少年、シュイだったが、こちらとしては親しみなどない。むしろ、鬱陶しいくらいだった。

「なあってば。なんだったんだよ、あいつ。カモか? だったら俺にも・・・」

「ただの馬鹿だ、あれは。聖女に興味があるって言うから、金もらって話しただけだ。用があるなら自分で探せ」

「ふーん。じゃあま、そうするよ。――ああ、この前も言ったけど、ここを出て、もっと実入りのいい仕事をしないか? お前となら組める」

「いらねえよ」

 予想通りだったのだろう反応に、シュイは気にするふうでもなく、「そうか」と言って去って行った。いつだって、この繰り返しだ。

 そこから、ハラクは更に通りを奥に行った。さっき言った変な連れのおかげで昨日の夜からさっきの昼まで、しっかりと食事は摂れた。今日の夜くらい抜いても平気だろうと思うと、気が楽だった。

 そこで、一人の少女に会った。

 薄い茶色の長い髪をした、きれいな少女。一瞬目が合って、少女もこちらを見ていたのがわかった。

 しかし、少女はフードを目深に被った男たちに囲まれており、声をかけることも出来なかった。男たちは、ハラクを見つけると蔑むように見下して、足早に歩いて行った。少女を、その囲いの中に閉じ込めたまま。

 ハラクは、その後を追った。気付かれないように、しかし疾(はや)く。

 ――泣いてた?

 涙を見たことがないわけではなく、むしろいやというほどに見るのだが、ハラクはただそれだけのために、少女を追った。

 少女と男たちは、神殿に消えて行った。

 ――そういえば昨日、聖女が死んだ。

 ではあれが次の聖女か。しかし、泣いていた。それともあれは、ただ少し、不安だったからだろうか。あの少女が明日には、微笑むというのだろうか。

 ハラクは、一つの決心をして、踵を返した。が、そこにあった見たことのある顔に、思わず飛び退いた。大声をあげそうになるところを、どうにか声を殺す。

「――なっ、おまッ・・・ッ!」

「あれが聖女? 笑ってないよね、泣いてるように見えたよ」

「・・・お前、何で・・・」

 そこにいたのは、昼に撒いたはずの少年――たしか、イザヨイとかいったか――だった。撒いた後はつけられている気配もなく、こんな路地裏に、無傷でいるとは考えられない事態なのだが。

 現実に、ここでこうして、立っている。

「そんなに驚かなくても。はぐれて見かけたから、追いかけてきただけじゃない。もうちょっと話、聞かせて欲しいと思って」

「いいだろもう、あれだけ話したので全部だ!」

「で、君は今から何をしようとしてるの?」

 言われて、ハラクは言葉に詰まった。うかうかと話せないというのも一つだが、自分でもばかなことをしようとしているという自覚はある。 

「どうでもいいだろ!」

 駆け出して、今度こそ、撒いた。



 夜を待って、ハラクは神殿に忍び込んだ。

 忍び込む前に、武器屋で剣を盗んできた。剣は重かったが、これが一番だと思った。

 神殿には要所要所に見張りが立っており、仕事熱心な彼らには、気絶してもらった。

 ――どうせ、もうこの街を出ていく。

 出来ることなら、少女を連れて。そう思い描いて、ハラクは慌てて打ち消した。少女がここで幸せだと言うのなら、その必要はない。ただ、馬鹿な事をした自分が姿を消すだけだ。

 そして、ハラクは適当な一人に聞いて、少女が地下にいることをつきとめた。その際、剣を血で汚した。その為に盗んできたとはいえ、やはり気分の良いものではなかった。

 地下で。

 少年は、声も無く絶叫した。

 地下で、少女は笑っていた。――心を壊されて。

 裸で、地面に転がされている。そこには、何人もの男たちがいた。どれも知っている。どれも、神殿で見かける顔。そして何があったのかも、少年には解った。解ってしまった。

 何が起きているのか理解できていないらしい男たちを、切った。たくさんの血が流れて、たくさんの血を浴びて、それでも少女は、微笑んでいた。今までの、聖女たちと同じように。

 聖女は、心を壊されていた。そしてきっと、短命だったのは寿命ではなく、殺されていたのだろうと。ハラクは悟っていた。

「――名前も、知らなかったね」

 剣を、少女に振り下ろした。



 ハラクは、神殿を出ると剣を投げ捨てた。そしてそのまま、血に濡れて重い服を身につけたまま、昼間に会ったシュイのねぐらへと行った。

「おい――シュイ」

 肩を押されて目を開けたシュイは、血に濡れて睨みつけるハラクを、声もなく見上げた。

「ここを出る。ついて来るか?」

 ごくりと、シュイは唾を飲み込んだ。口の端に、微細な笑みが浮かぶ。体が震えるのは――期待だ。答えは、決まっていた。



 街を出たシュイが降り返ると、神殿が燃えていた。目を丸くするシュイに構わず、ハラクは先を行く。慌てて追って、シュイが事件を知ったのは、随分後のことになった。

 逃げるように町を後にした人々は、口々に同じことを言ったのだった。声が聞こえた――神が、お怒りになった、と。

 やがて、人々が残らず消え去り、聖地は消え去った。

 聖地には、聖女はいない。


元ネタは、ポルノグラフィティ「カルマの坂」です。


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