「おはようごさいまーす・・・」
呟くように言いながら、加賀谷亘[かがやのぼる]は部室(と呼んでいるが、実は物置を無断拝借)の戸を押し開けた。毎日出入りしているにもかかわらず埃っぽい空気が、一気に押し寄せてくる。
思わず、亘は顔をしかめた。
そして、廃棄寸前のロッカーから置きっぱなしの教科書を取ろうとして、大きくのけぞった。入ったときは、部屋の中央に置かれた机に隠れて気付かなかったのだが、どこからか拾ってきた皮張りのソファーで眠っている人がいた。
長い癖のない髪に、穏やかな印象を受ける顔つき。いつもは真っ直ぐに伸ばされている背筋が、さすがにソファーの上で丸まっている。
この大学の二年生、亘の一年先輩に当たる狭霧亜麻音[さぎりあまね]だった。
「び、びっくりした・・・・」
飛び出そうになった心臓をなだめるように胸に手を当てて、小さく呟いた。誰もいないと思っていたので、不意打ちを喰らった感がある。しかしそのせいだけでなく、亘はじっとりと汗をかいた。
まずいのだ。
今、非人道的活動同好会「万[よろず]」のメンバーに出会うのは、非常にまずい。例えそれが、比較的温和で常識的な亜麻音であっても、まずいものはまずい。
思わず回れ右をしそうになったが、そうすると教科書を諦めることになる。次の時間は、受講人数が少ない上に厳しい先生なのだ。教科書でも忘れようものなら、どんな嫌味と宿題が出現するか。
平和に眠る亜麻音を確認してから、息を殺して、そっと手を伸ばす。ゆっくりゆっくりと音を立てないように気を付けながら、目的の教科書を掴み取った亘は、大きく安堵の溜息をついた。
が、次の瞬間には、教科書を腕に抱えたままで硬直してしまった。
「半人前、話がある」
肩越しに耳元で囁かれた声は、三年生の上条悠夜[かみじょうゆうや]のものだった。ちなみに、悠夜が亘を呼ぶ「半人前」という呼称は、実は「百歩譲って半人前」という短文の前半が省略されている。
硬直したままの亘は、心底、教科書を置きっぱなしにしていた自分を呪ったのだった。
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