奇跡的な再会

「よう」

 天然の洞窟の中で入口に立った人影を見て、キリトは口の端を上げた。

「よく見つけたな。って言いたいけど、簡単だったろ」

 夕暮れで、既に洞窟内は暗くなっており、沈み掛けている太陽を背にした男の姿も、逆光ですっかり陰になっていた。それでもキリトには、男が誰であるか、確信があった。

「残念だった? いっそこのままいなくなれば、あの会社はあんたのものになったのにな」

「・・・何を言ってるんですか。まだ、社長の葬儀の途中ですよ。戻らないと、皆待ってます」

「関係ない。あの人がどうなったところで、俺の生活には変わりないはずなんだから」

 キリトは、立ち上がって埃を払った。次いで、床に置いていたカバンを拾い上げる。

「会社も遺産も、あんたが受け取ればいい。それだけのことはしてきたんだ」

「キリトさん!」

「弁護士に手続きは頼んである。要らないなら、寄付でもなんでもすればいい。会社の方は、会議見てる限りじゃ、役員の眼と頭が腐ってない限り、放っといてもあんたで決まりだろ」

 一応、おれの意思は伝えといたけどね。言う必要もないと思って、それには触れなかった。

 近付いてきた男の手を払いのけて、微笑する。

「おれ、あんたのことは結構好きだったぜ?」

 足払いをかけて、洞窟の奥へ走っていく。何か、叫ぶのが聞こえた。

 暗闇をずっと走っていけば、山を越えた向こう側に出る。ひたすら走って、光を見たキリトは、歓声を上げた。

*   *   *


 どこか遠くで、誰かの声が聞こえる。子供のような、そんな声。なんだろう、どこかで――その思考は、直接的な痛みに遮られた。

「ちょっとキリト、いい加減にしなさいよねっ! なんでわたし一人、働かなきゃならないのよ、わたしはあんたの手下でも下僕でもないんだからねっ」

「・・って―」

「そりゃあ痛いでしょうよ、つねったんだもの。痛くなかったら、よっぽど面の皮が厚いのね!」

 キリトは、低めの丸椅子の上で腰に両手を当てて文句を言う人形に目をやった。身長二十センチかそれ以上の、大きいとも言えない人形だ。ウェーブがかった金の毛糸の髪と、茶色いビーズの瞳。丸い顔に、かわいいワンピースとエプロン。どう見ても、人形だ。

 この喋る人形とキリトが出会ったのは、洞窟を抜けたすぐ後のことだった。地面に落ちて汚れた人形を、自分に重ねて拾い上げた、ただそれだけだったのに。

「ほら、立つ! 呼び込みをやる!」

「・・・眠らせてくれよ―。昨日徹夜仕事だったんだぜ、おれ」

 自らの手で汚れを落とした人形はリジーと名乗り、キリトと共に行動し、自分の食い扶持(と言っても、糸がほつれたときや破れたときにかかる補修費ぐらいだった)くらいは稼ぐと言って、知り合いの食堂の片隅で占いをやっている。それは構わない。稼ぎは使って良いとの言葉に甘え、いくらかは助かっているのも事実だ。何しろ、最小限で飛び出したのだから。

 だが。歩くと遠いからといって、仕事のせいで例え寝たのが明朝だろうと徹夜だろうと連れて行かせ、仕事が入っていても少しだけでも帰ってきなさい、と言われてはたまらない。

「もう、情けないわねっ」

「おれは普通なの、お前の感覚がおかしいんだって、絶対」

「若い子が一晩の徹夜くらいでがたがた言うんじゃないわよ」

「あのなあ」

 だがここで言いすぎると、へそを曲げてご飯を作ってくれなくなる。何故かリジーは、食べもしないのに料理の腕は一級だった。

「あたしがやるよ、奥で親父さんに言って寝てな?」

「ヒカミ! いい女だな、お前」

「ハイハイ、早く行きなって」

 赤髪のウェイトレスはそう言って、犬にやるように手を振った。キリトはそれでも、機嫌よく店の奥に消えていく。

 おじさん、奥借りるよ―、昼になったら起こしてくれる?

 おう、任せとけ。昼飯の用意もしといてやらア。

 男二人のやり取りを背に、女二人は肩を竦めた。店の席は半分ほどは埋まっているが、ほとんど顔見知りで、料理も全て出し終えている。ヒカミ・セナは、手近な椅子を引き寄せると、そこに座った。

「毎回見てて飽きないよ、二人とも」

「それはどうも。でも、その言葉はほぼ全面的にキリトに言うべきよ」

「いやあ、それもどうかな」

 笑って、セナは心持ち声の大きさを落とした。     

「そろそろ限界。明日の・・・昼までもつかどうか」

「そう」

 リジーは、少し淋しそうに、だがはっきりと笑った。人形の小さな手が、白いエプロンドレスの前で組み合わされる。

「あとはこれで、あなたがあの子のお嫁さんにでもなってくれたら嬉しいんだけど?」

「冗談」

「本気よ? あなたがいい人だって、わたし知ってるもの」

 セナは肩を竦めた。どう考えても、自分は家にこもるよりも外に出ていくタイプだと知っている。それは、一族の保証付だった。

 客の一人が食べ終わって呼ぼうとするのを視界の端で見つけて、セナは最後にリジーのビーズの目を見つめた。

「で、あいつはどうする? それをあんたは決めなきゃならないんだよ」

「ヒカミ」 

「はい、ありがとうございます!」

  客の声に、リジーから視線を外し、何事もなかったかのようにヒカミは立ち上がった。

*   *   *


 翌朝、キリトとヒカミはキリトの借りている家の前で顔を合わせた。ヒカミは、赤毛をまとめて帽子におしやり、動きやすいズボンをはいていた。

「おはよう」

「・・・おう」

「仕事は?」

「午後から。お前こそ、食堂もう始まってるだろ」

「辞めた。お金も貯まったし、ここでのあたしの契約は終ったんだ」

 キリトが、真っ直ぐに見つめるヒカミを睨みつけた。ヒカミが、それに対して苦笑する。

「聞いたんだろ? あたしの依頼主はレジェン、あんたの母親だ」

 改めて、二人を思い出す。早くに亡くなった母と、母を愛しすぎていた父。母が亡くなってから仕事だけに逃げたほどに、母のいない家に帰って来ることも出来なかったほどに、愛していた父。

 キリトには、母の記憶がほとんどなかった。もの心つく前に亡くなったのだから、当然といえば当然だった。

「ああ、これも聞いた? 昨日、リジーがあんたの秘書・・・なんてったっけ、カイバラ? に電話してたけど」

 のどの奥でげ、と呟き、キリトは額に手をやってしゃがみ込んだ。前の道を行く暦屋が、何事かと眼を丸くしているた。対してヒカミが、壁に突っ伏して笑っていた。

「聞いてなかったのか。向こうで跳びあがってたぜ、絶対。すっごい声出してたもん」

「なんでよりによってカイバラだよ・・・。あいつの性格からして、来るぞ。他の奴だったら、半年も失踪してたガキなんて無視するってのに」

「だからだろ。一回、ちゃんと話してやれよ。お前がどんな気持ちで家出たにしろ、あっちはどう思ってるかわかったもんじゃないだろ。安心くらい、させてやれば?」

 キリトは、俯いた。

「・・・関係ないだろ」

「なくない。あたしの依頼相手はジニーだ。言うことを聞いてやる相手は、ジニーだけ。・・・でもさ、本当は、ぎりぎりまで粘ると思ってた」

「何?」

「ジニーにはまだ少しだけど、時間が残されてた。だからあたしは、そのぎりぎりまで、お前と一緒にいると思ったんだ。昨日どんなやり取りが合ったか知らないけど、満足したんだな」

 呆気に取られて、ついで破顔した。

 この半年、疫病神だと思っていた人形。昨日になって判った、母の存在。リジーは、愛称なのだと言っていた。

 きっとこの半年、あの人形のおかげでどうにかなった。

「さて」

 そう言って、ヒカミは背伸びをした。

「元気でやれよ」

「そっちこそ」

 道の向こうからカイバラが走ってくるのを視界の端で知りながら、キリトは笑った。そしてふと、思い立ってヒカミの背に声をかける。どうやって、母さんが人形に入ってたんだ?

「依頼料も貰うけど、依頼人の思いの強さ。あたしはそれを手伝ってるだけ。ってのが、今のとこの仮説」

「仮説?」

「ああ。なんでか知らないけど、こういうことができるからさ」

「知らないって・・・怖くならないのか?」

「使える物は屑でも使え、ってのがうちの一族の鉄則。じゃな!」

 ヒカミが去って、背後からは半年前に聞いたのと同じ、カイバラの呼ぶ声が聞こえた。

 一晩で来るか、普通? 半年も前に飛び出した文無しのガキのところに?

 キリトは、笑っている自分に気付いていた。随分と、めぐまれている。こんな人がいて、半年も余分に、母と居られて。どうだ、悔しいか、親父。そんなことさえ、考えられた。

「キリトさん!」

 ――ああ。今日からは、自分で料理しないとな。 



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