いつものこと

「ほい、完了」

「スゴイスゴイ、ありがとう!」

 小さく跳びながら礼を言う少女に、真は小さく苦笑した。まさか、自転車を直したくらいで「すごい」と言われるとは思わなかった。しかも原因は、ゴムチューブのムシが傷んでいただけという、簡単なもの。

 ――ま、それで金もらえるし感謝してもらえるんだから、こっちとしちゃありがたいけど。

 決して嫌味ではなく、そう思う。つい、「騙されるなよー」といって頭を撫でたくなるが、ここでそれをしたら、セクハラ、あるいは変態としてとられかねない。

「すごいね、本当に何でもできるんだ!」

 ――いや、何でもってのはさすがに・・・・。

 賢明にもその言葉を呑み込むと、真は笑顔で「ありがとう」とだけ返した。

 笑うと、つり目できつい印象を与えている顔が一気に優しくなるのだが、本人はそれを知らない。少女は、一瞬動きが止まり、思いがけず良いものを見た、と内心ほくそえむ。後で、思いっきり自慢してやろう。

「あ、俺部室行かなきゃ。鷺沢さん、報酬・・・・」

「はい、これ。一枚で良かった?」

「うん。これからもよろしく。よかったら、友達とかにも宣伝しといて? じゃ」

 食券を受け取ると、真はゴミと化したムシや傍らに立てかけていたかばんを手に、軽やかに走り去っていった。


*   *   *   *   *


 無人の地学講義室、もとい部室にたどり着くと、真は手近な机にかばんを置いた。真の性格からいって投げるように置いてもおかしくないのだが、制かばん・補助かばんともに大事な商売道具が入っているので、乱暴な扱いはできない。

 真が成立させた「万能部」は、はっきり言って「何でも屋」だった。食堂の食券ではあるが報酬をもらう、れっきとした「商売」だ。

 そんなものが学内で成立してしまうのは、ひとえにこの学校が変だから――そう、真は思い込んでいる。だが実際には、真の器用さに教諭陣も含め世話になっているため、認めざるを得ないというのが実情だった。口コミで広がって黙認の商売になるよりは、とこの方法を選んだのだが、生徒会長あたりは、普通逆じゃないのかと、少し悩むことになる。

 現在、部員は一年生の真のみ。別段部費ももらってないし活動の場があればいいのだから、部の存続には拘っていなかった。

「さーって、記録記録」

 水色のバインダーを開くと、ルーズリーフに「自転車修理」と記入する。その下には、依頼主、報酬、どこで何をしたかを書く。他のページには、「生物部の兎捕獲」「天文部の望遠鏡磨き」「車の掃除」「印鑑探し」「食堂の場所取り」といったことが書かれている。そのうち「車掃除」と「印鑑探し」は、教師からの依頼だった。

 これは全て今日一日にこなしたものなのだが、今日以前に予約の入っていたものは別のバインダーに記録しているので、一日に十件ほどは受け付けていることになる。   

 基本的に、依頼は直接本人に。放課後までは真の教室でか、いないときは机にでも。放課後からは六時まで地学教室、ということになっている。

「あ?」

 明日の予定を確かめるために予約ノートを開いた真は、眉をひそめた。

 ――バスケの練習試合の助っ人の後にサッカーチーム内試合に参加、その後剣道部の指導だあ?

「なんちゅーハードな・・・・・大体おれ、剣道やめてから半年くらい経ってるってのに」

 自分で入れた予定だが、呆れるしかない。それでも予定が一切かぶっていないところに、少し満足する。余裕をとって組んであるから、多分大丈夫だろう。体力のほうは・・・・まあ、何とかなるか。

 遊びやそのための費用捻出であればここまでしないが、真の場合、半ば生活がかかっていた。父が中学卒業を間際に亡くなり、母は入退院を繰り返している状況。いくら祖父母が母親の入院費を払い、父の保険金や今までの貯金で学費をまかなえても、母子二人の生活費と、大学にいく分の学費はどうにかしなければならない。祖父母の貯金も父の保険金も、いつまでも頼れるほどはない。奨学金も受けてはいるが、それだけでどうにかなるものでもない。

 バイトも考えたのだが、高校生の賃金は安い。丸々時間を束縛されて勉強もろくにできない状況では、大学にも行けないと真が考えた末に、こうなった。もともと、器用さから友人に頼みごとをされ、その見返りで色々と融通してもらっていた体験が幸いした。

「あー、俺って勤労学生〜」

 歌うように呟く。忙しくはあるが、真は現在の生活が、嫌いではなかった。まだ、一年も経たない状態では父が懐かしいにしても。

 一通り記録や明日の予定を点検すると、それをしまって、今度は授業の予習を始めるべくノ−トを広げた。時刻は、まだ四時半を過ぎようかといったところだった。

「まこ君、いる?」

 セーラー服のすそを翻して駆け込んできた少女に、真は目をやった。小中学も同じで今はクラスメイトでもある畑中弥生は、幼馴染と言っても差し支えないだろう。確か、保育園から同じだったはずだ。

「いるけど、なんか用?」

「うわ、偉い。予習ちゃんとやってる――って、そうじゃなくて。仕事よ、仕事。工科学部の連中がまた部室の前に機材置いて、入れないし出られないのよ」

 そう言って、写真部の弥生は怒り顔を見せた。

 この問題で弥生を始めとする写真部が真の元に駆け込んでくるのは、もう二桁目に突入する。何度も苦情を言ったのだが、一向に改善されない。これは、顧問などに言ってもどうなるものではなかった。そもそもこの学校の方針は、「生徒のことは生徒に」。

「機材って、今度は何?」

「知らないわよ。重そうなガラクタってことしか。今、仕事入ってないんでしょ? ほら、早く」

「はーい、先生」

 冗談めかした声で、真は立ち上がった。値段交渉は、もう慣れたことなので、この件に関してはすでに定額化されていた。


*   *   *   *   *


「ちょっと、聞いてるの?!」

 決して広いとは言えない生徒会室の中で、何故自分がこんなことを、と思っている人間が、少なくとも二人はいた。真と、その目の前で怒っている人物だ。

「イエス・マム」

「ふざけないで!」

 目を吊り上げて怒る生徒会長に、そんなこと言ったってー、と、真はぼやいた。既に何回も聞いた小言は、諳[ そら ]んじて言えるくらいだ。

 こんな状況になるのも工科学部のせいだ、と真は思った。

 大体、口論に次いで強制撤去、そして最後は拳と、辿るルートは決まっているのだ。そして最後には、生徒会長のお説教。隣で工科学部の部長も怒られているのだが、それは何の慰めにもならない。

 いっそこんなとき、言葉がなければもっと手っ取り早いと思う。まず、口論の手間が省ける。そしてこの説教も、拳骨なり何なりで方がつくだろう。

 ――あー。それって楽でいいなー。

 到底知識人とは思えない考えを抱いたまま、真は小言を聞き流していた。あくびをかみ殺すのに、苦労する。朝刊配達のバイトは、やっぱり眠気をもたらすのだ。

「田辺真!」 

「だから聞いてるってば・・・」

 力なく、呟く真だった。 



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